※2023年8月撮影

トップ画像は「百草八幡宮」の石段の下。「京王百草園」を出て「百草園通り」をそのまま100mも行かずに石段があります。・・・というか、かなり石段を登らなければ・・・。

最初の石段を上がりました。あとふたつ。(笑)

※2023年8月撮影

あとひとつ。

※2023年8月撮影

社殿です。神様にご挨拶しました。御祭神は、誉田別命、気長足姫命、武内宿彌。

※2023年8月撮影

境内末社。一見、左に「庚申塔」があるのかと思いましたが、

※2023年8月撮影

「青面金剛像」と思ったら「秋葉山大権現」と側面に刻銘されていました。山岳信仰・修験道の神様です。

※2023年8月撮影

国指定重要文化財「銅造阿弥陀如来座像」が安置される奉安庫。新しくて綺麗です。

※2023年8月撮影

日野市教育委員会による説明板。

※2023年8月撮影

内容を写します。

「この奉安庫には、国指定重要文化財の「銅造阿弥陀如来座像」が安置されている。青銅で鋳造され、座高は40.7cmで定印を結ぶ。素朴な表現の中に力強さや親しみやすさを感じさせる鎌倉時代の優品である。背面には造立の由緒を伝える銘文が刻まれ、建長2年(1250年)に、武州多西郡吉富郷真慈悲寺の僧慶祐が、施主源氏一門の願いをうけて、天皇をはじめ幕府執権や地域の支配者の安穏泰平、子孫の平安を祈り造立したとある。真慈悲寺は11世紀末から14世紀前半(平安時代末期から鎌倉時代)に百草の地に存在していた大寺院で、京王百草園内での発掘調査により13世紀代の瓦が多量に出土している。この寺が廃絶したあとも、阿弥陀如来座像は百草八幡神社の八幡神の本来の姿を示す仏像としてこの地に伝えられ、年に一度9月の祭礼に合わせて公開されている。  令和4年3月」

さらに奥に「松連禅寺之碑」があります。

※2023年8月撮影

日野市郷土資料館による説明。

※2023年8月撮影

少し長くなりますが写します。

「この碑は文政一三年(1830)に松連寺八代住職魯庵によって建立されたもので、撰・書家は小田原藩士岡田雄(岡田左大夫光雄、御番頭、右筆)による、像高1.7メートル、総高2.7メートルの精巧な作りである。

松連寺は明治六年(1873)に廃寺となり、百草出身の横浜貿易商青木角蔵翁が買い取り、明治20年に百草園として公開した。昭和32年に京王電鉄株式会社の所有となっている。

この碑文によると、この地に天平年中に道慈により建立された寺があり、鎌倉幕府を開いた源頼朝の先祖の頼義・義家が奥州の前九年・後三年の役に際して祈願し、戦勝後、伽藍坊門を建てた、昔は五百石の祭田があったが、名前のみが残る、新田義貞が北条氏を討った分倍河原の戦で、寺は消失したが、年を経て慶長年中に新たに庵を造り海印を庵主とした。後に黄檗宗瑞寺の末寺となり、光鑑を主僧、慧極を中興開士とし、光宗・無文・悦門・関捩・自穏・祖門・魯庵と八代続く。小田原城主大久保忠増の室、寿昌尼は、慧極・北宗とともに慈岳山松連寺を建立した。寺宝には源義家の木像や軍器をはじめ、真慈悲寺と背銘のある阿弥陀仏など多数ある。魯庵の項には寺は衰微していたため、松連寺十八景を新たに作り、宝物を展観し昔の歴史を広く知らせた。この魯庵を当地の代官中村八大夫知剛が助け、殿堂を修繕し、この碑の費も負担した、とある。

江戸時代初期には、桝(増)井山松連寺に源義家に関わる寺宝や、真慈悲寺と背銘のある阿弥陀仏等が相伝していたが、享保二年(1717)に慈岳山松連寺に引き継がれた、松連寺を別当としていた百草八幡神社は、中世には鎌倉の鶴岡八幡宮と関係があったとされ、義家と墨書された古い神像等を伝えているとされる。

魯庵が松連寺を整備し、江戸の文人を招致したため、紀行文が多く残され、「江戸名所図会」等にも記された。現在松連寺のことがかなり判明するのは、この碑をはじめとする魯庵の業績に負うところが大きい。

なお、碑文では、松連寺が奈良時代に建立されたように読めるが、その点には疑問がある。また、分倍河原合戦にて寺は消失したとあるが、その痕跡はまだ発掘調査では見つかっていない。

平成21年9月13日 日野市郷土資料館」

これまで触れた「百草園」の歴史とも重複する部分があります。しかし、詳しい説明がありがたいです。

「百草八幡宮」を辞去して、「京王百草園」の出入口まで戻って来ました。右の石段を上がって行くと駅に掲出されていた道ですが夏草が激しく茂っていて、またヤブ蚊の餌食になりそうなので往きと同じ坂道を降りてゆくことにします。

※2023年8月撮影

次回は「百草園駅」から「高幡不動駅」に向かいます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)