不思議な由来の高宰神社【駅ぶら】06京王電鉄230 高尾線20
※2023年10月撮影
トップ画像は「万葉公園」の案内図。外周の公道を歩いてゆきます。
めじろ台駅から公園までは緩い登り坂でした。今度は下ります。
※2023年10月撮影
公園の入口があります。後ほどここから公園に入りますが、まずは素通りします。
※2023年10月撮影
懐かしい郵便ポストがあります。
※2023年10月撮影
高宰(たかさい)神社の拝殿背後の覆屋、中に本殿がありました。彩色された精緻な木彫を見ることができる様に大きな窓がありますが、残念なことにガラスが汚れていて写真は撮れませんでした。
※2023年10月撮影
高宰神社の鳥居、入口です。右の道から来ました。
※2023年10月撮影
鳥居をくぐります。右に高宰神社の由緒が掲示されていました。
※2023年10月撮影
「高宰神社由来記」の内容です。
「八王子市散田町5丁目36番に鎮座する高宰(たかさい)神社は、日本史南北朝の終り頃、京より高貴な御方が故あって、かたく氏名をかくし(恐らく南朝の公家と思われる)現在の御所水の地に居住したことから始まります。逝去後、由井地区の杉山峠に埋葬され、後山田村広園寺境内の一角に一祠を建立し、小蔵主明神と号し、鎮座したのが当社の起源であり今より約600年以前のことであります。
その後、何故か散田地区の古明神と言う処(現在のめじろ台4丁目)に移り、降って正保慶安の頃更に、真覚寺境内に移しそこで高宰神社と命名し、現在にいたったものであります。
当社は、霊験あらたかで、八王子が誇る千人同心部門の神として深く崇敬され、千人町、散田町、並木町、山田町、めじろ台等の守護神であります。
高宰神社のご祭神は、按察使大納言、藤原信房卿と言われておりますが、一説には、高倉宰相某とも言い、また明治元年神仏分離の達しがあり、明細帳作成当時書出したものには、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)としてあるが詳らかではなく、現在では、藤原信房卿の説が最有力で、この説に定着しているようであります。
現在、神社登記簿には、神社は単に高宰の神となっております。
高宰とは、高貴な方の高と、宰は、宰相とか言われる大臣クラスのことと思われ、尊貴両者を採り入れ、高宰神社の社ができたものと思料されます。
高宰の神が在世中の地を、御所水の地と言い、清水の湧き出していた処から「御所水の神」と言われたのは、当時朝廷以外には御所の名は使用されなかったこと等思い合わせると、余程高貴な方を思わせるものがあります。 (昭和61年8月 総代記す)」
なかなか興味深い由緒がある古い神社です。
※2023年10月撮影
拝殿と背後に本殿。
※2023年10月撮影
拝殿に向き合う様に神楽殿。
※2023年10月撮影
高宰の神様にご挨拶します。
※2023年10月撮影
拝殿の横に石仏。左端は青面金剛像が分かるので庚申塔です。中央は字が刻まれている様ですが判読できません。右端は、かなり壊れていますが双体道祖神の様に見えました。
※2023年10月撮影
本殿の横には小さな石祠がならんでいました。詳細は不明です。
※2023年10月撮影
次回は、真覚寺に行きます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)