※2024年8月25日撮影

トップ画像は、釜石駅。ポイントは左に進行する様になっています。乗っているのは宮古行です。

右に南リアス線時代から現在も使われている三陸鉄道の釜石駅ホームがあります。

※2024年8月25日撮影

ここからは2016年(平成28年)南リアス線時代に筆者が釜石駅から乗車した時の写真です。南リアス線の終端部です。

※2016年11月撮影

ホームの盛行。この時はこの車両に乗りました、

クウェート政府が東日本大震災の際に原油を支援として日本政府に提供、それを換金して日本赤十字社を通し被災3県(福島、宮城、岩手)に配分された支援のお金を岩手では一部を三陸鉄道の車両購入に充てることになったことから新製された車両です(製造は新潟トランシス)。車両は36-701、クウェートの国章が付いています。

※2016年11月撮影

2016年当時の駅名標。南リアス線の時代でした。

※2016年11月撮影

こちらは現在の駅名標です。愛称は「鉄と魚とラグビーの町」。

※2024年8月25日撮影

盛駅出発から60分後、09:03釜石駅を出発しました。

※2024年8月25日撮影

転車台があります。JR釜石線では「SL銀河」が2023年3月まで運行されていました。その時に使われていたのでしょう。

※2024年8月25日撮影

余談ですが、筆者は釜石線上有住駅から陸中大橋駅間の大ループが大好きで何度も往復しています。遠野駅にも何度も降りました。エスペラント語の駅名も付いた釜石線独特の駅名標も魅力的です。

甲子川を渡ります。JR釜石線と左に進み、リアス線(旧JR山田線)はスロープを上がります。

※2024年8月25日撮影

リアス線は、25パーミルという急坂を上って行きます。

※2024年8月25日撮影

あっと言う間に高度をあげたリアス線。JR釜石線は左の眼下に見えています。

※2024年8月25日撮影

釜石トンネル(20)960m。同じ名前のトンネルが平田~釜石間にもありましたね。

※2019年4月撮影

短めのトンネルが続きます。第三水海トンネル(21)173m。

※2019年4月撮影

第二水海トンネル(22)78m。

※2019年4月撮影

第一水海トンネル(23)70m。

※2019年4月撮影

両石駅に近づきました。2019年に盛駅から久慈駅まで乗った時、運転席横で前を見ている筆者の隣に三陸鉄道の方が偶々乗っていました。リアス線の話をしながら写真を撮っていたのですが、三陸鉄道の方が「JRさんものすごく丁寧に徹底的に旧山田線の軌道を復旧されています」と感心されていました。

※2024年8月25日撮影

釜石駅から6.1kmで両石駅です。

※2024年8月25日撮影

駅名標。愛称は「恋の峠 愛の浜」。

※2024年8月25日撮影

両石駅周辺案内という看板があります。正面に見える朱い鳥居が案内板に書かれている厳島神社でしょうか。

※2024年8月25日撮影

書かれていた内容。

「1951年7月23日、国鉄山田線の仮乗降場として開業、1954年9月1日に駅に昇格しました。そして2019年3月23日に東日本旅客鉄道から三陸鉄道に移管されリアス線の駅となりました。かつては駅まで長い階段を登らねばならなかったが、東日本大震災後の復興工事で大規模な嵩上げが行われ町との高低差がほぼ解消されました。周辺には駅の愛称となっている愛の浜海水浴場や恋の峠があります。」

両石駅を出発すると恋の峠トンネル(24)305mがありました。

※2019年4月撮影

鵜住居駅で島式ホーム1面2線になります。

※2024年8月25日撮影

両石駅から2.2kmで鵜住居駅です。盛行が交換待ちをしていました。

※2024年8月25日撮影

駅名標。愛称は「トライステーション」。

※2024年8月25日撮影

実は、2011年3月の東日本大震災の三ヶ月前、2010年12月に筆者は当時のJR山田線で宮古駅から釜石駅まで乗車していました。夕方以降で暗かったので写真は残っていませんが、何故か鵜住居駅の駅名標だけ写していました。ユニークで筆者の好きな駅名なのです。

※2010年12月撮影

この駅名標も東日本大震災の津波で押し流されてしまったのでしょうか・・・。

津波の被害が甚大だった区間を進みます。次は大槌駅です。

(文・写真) 住田至朗

※三陸鉄道の許可をいただいて撮影しています。

※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。