※2024年8月25日撮影

トップ画像は、鍬台トンネル手前の高台。東に吉浜湾が広がって中々良い眺望です。天気が良ければ青い海ですが・・・。

扇洞トンネル(15)80mは、写真がありません。

鍬台トンネル(16)に入ります。3,907mと長いトンネルです。

※2024年8月25日撮影

東日本大震災の時、トンネル内を乗客2名を乗せて列車が釜石方面に走っていました。

ここに運転士休石さんの生々しい手記があります。

内容をかいつまんで書きます。最初は、地震の揺れで車両が脱線しそうになりました。緊急で車両を停止。ちょうど鍬台トンネルの真ん中辺りでした。運転士さんは、一人懐中電灯をたよりに20分歩いて吉浜側トンネルの外に出ました。川古荘の方に会って地震による惨状を聞き、再びトンネル内の車両に戻ります。今度は、乗客2人を誘導して吉浜側からトンネルを出て高台にある川古荘に乗客を避難させたことなどが書かれています。この車両三陸鉄道36-100形105号は”奇跡の車両”と呼ばれ、南リアス線では唯一の震災で無事だった車両です。

熊野川を渡って、熊の木トンネル(17)、全長は790m。出口が見えています。手前の熊野川にかかる荒川橋梁が東日本大震災の津波で崩壊し、熊木トンネルから歪んだレールが垂れ下がる写真をご覧になった方も多いのではないでしょうか。

※2024年8月25日撮影

吉浜駅から6.1km、唐丹(とうに)駅です。

※2024年8月25日撮影

島式ホーム1面2線で列車交換が可能な駅です。ここで上り列車とすれ違います。

※2024年8月25日撮影

駅名標。愛称は「さけのふるさと」。

※2024年8月25日撮影

ホーム北側を流れる片岸川の200m上流には唐丹町漁協片岸新孵化場があります。三ヵ所の孵化場で2000万尾の鮭の稚魚を放流しています。それで多くの鮭が故郷の川に遡上してくるのですね。

※唐丹町ホームページの記載より

※2024年8月25日撮影

盛行が来ました。「三陸鉄道40周年」のヘッドマークを付けています。車両は、36-718でした。

※2024年8月25日撮影

唐丹駅を出ると、4,670mという長い石塚トンネル(18)に入ります。

※2019年4月撮影

唐丹駅から5.4km(その大部分がトンネルでした)で平田駅です。

※2024年8月25日撮影

海側に単式ホームがあります。右下の駅前広場から長い階段でホームに上がります。右奥の黄色い矢印が「釜石大観音」。

※2024年8月25日撮影

長い石塚トンネルを通る間に側面の窓ガラスが悉く曇ってしまいました。停車毎にホームに降りて駅名標を撮る時間的余裕はありません。多くの場合、側面のドア窓から流し撮りをしています。

それで今回の駅名標は2019年の撮影です。愛称は「漁火大観音」、ホームから釜石大観音が見えることがその由来です。

※2019年9月

2016年11月に来た時にホームから撮った「釜石大観音」。曹洞宗のお寺石応寺が1970年(昭和45年)に建立したコンクリート製の立像で高さは48.5mあります。像内の螺旋階段を登れば展望台があって釜石湾が一望でき眺望絶佳とのことです。平田駅から2kmで徒歩なら30分ほど。

※2016年11月

平田駅を出ると1,957mの釜石トンネル(19)。

※2024年8月25日撮影

これが南リアス線最期のトンネルです。19のトンネルがあって総距離は、22,390m。南リアス線36.6kmのうち約23.9kmですからほぼ65%がトンネルでした。平地にただ線路を敷くのとは、手間もコストも段違いです。

トンネルを出ると甲子川に沿うように上流の釜石駅に向かいます。

※2024年8月25日撮影

筆者は4回目ですが、鉄橋の眺めはなかなかです。

※2024年8月25日撮影

この前面展望、鉄橋好きには堪りません。

※2024年8月25日撮影

次回は、釜石駅に到着します。

※2024年8月25日撮影

(文・写真) 住田至朗

※三陸鉄道の許可をいただいて撮影しています。

※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。