※2024年8月27日撮影

トップ画像、大聖寺駅を出て夕暮れ迫る中、福井駅に向けて進行しています。長閑な田園が広がります。県道の高架線が見えます。

大聖寺駅から牛ノ谷駅までの駅間は5.7kmあります。

※2024年8月27日撮影

夏至から2ヶ月が過ぎていますが、幸いまだ陽は沈みません。

※2024年8月27日撮影

油断していたワケではありませんが、牛ノ谷駅の予告票、ピンボケです。

※2024年8月27日撮影

朝7時半頃から既に10時間近くカメラ持ってウロウロしています。

11時半からは、ほぼ立ちっぱなしで前面展望や駅名標を撮影。

6時間動く電車の中、両手でカメラを持ち、つかまらずにバランスをとりながら前面展望を望遠レンズで撮影するのは、爺には体力的に少々キツいです。

って、自分から好き好んでやっているコトですが。(笑)

山間では夕暮れで少し暗くなってきました。牛ノ谷駅です。

※2024年8月27日撮影

島式ホームが右にカーブしています。

※2024年8月27日撮影

駅名標は、流し撮りです。コンパクト・デジタルカメラのフルオートで撮影していますが、駅名標が微妙な露出になってしまいました。外が少し暗いので車内のつり革などが写り込んでいます。

※2024年8月27日撮影

牛ノ谷駅は大正年間に信号所として開設された後、駅に昇格しています。なかなかシックな木造駅舎があります。

個人的に古い木造駅舎が大好きなので、ハピラインふくい線では、この牛ノ谷駅から、細呂木駅、丸岡駅、春江駅、森田駅とこの電車の終点福井駅までの間に撮影に行きたい駅が続きます。

17時を回って流石に夕暮れという雰囲気になってきました。

※2024年8月27日撮影

細呂木駅の予告票。

※2024年8月27日撮影

細呂木駅が見えました。跨線橋が目立っています。

※2024年8月27日撮影

跨線橋の手前に使われていない夏草の生えたホームがあります。島式ホーム。跨線橋のある右(西)側に駅舎が見えます。

※2024年8月27日撮影

嵩上げされたホーム部分が使用されています。

※2024年8月27日撮影

その先に夏草の生えたホームが伸びています。北陸本線時代の長大な列車を想像します。

※2024年8月27日撮影

先頭のドアからホームと駅名標。近いですが駅名標は流し撮りになります。

※2024年8月27日撮影

駅名標、上手く撮れました。ハピラインふくいに移管されて、まだ半年ほどなので駅名標が新しくてキレイですね。

※2024年8月27日撮影

細呂木駅は、明治時代に開業。1948年(昭和23年)の福井地震で駅舎は全壊。すぐに復旧されました。

駅を出て田園地帯を進みます。まだ西日が射していてどうにか撮影が続けられます。

※2024年8月27日撮影

左にカーブしながら北陸新幹線の高架下をくぐりました。芦原温泉駅の予告票が望遠レンズの画角に上手く収まってくれません。

※2024年8月27日撮影

次の瞬間、電車が微妙に揺れて画角が下にずれました。すみません、単にカメラが下手なんです。

※2024年8月27日撮影

カーブが終わると駅が見えました。

※2024年8月27日撮影

上り単式ホームと下りの島式ホーム、さらに右に保線車両の駐まる側線があります。

※2024年8月27日撮影

細呂木駅から3.8kmで芦原温泉駅に到着です。北陸新幹線の接続駅で、左(東)側に北陸新幹線の高架駅があります。

※2024年8月27日撮影

ホームの南側に橋上駅舎があります。

※2024年8月27日撮影

駅名標。北陸新幹線の高架駅を支える柱が見えます。時刻は17時20分。

※2024年8月27日撮影

駅は明治年間に開業。新しい橋上駅舎になって駅名が芦原温泉となったのは1970年代。それからほぼ半世紀が経っています。JR西日本を経て、2024年3月からハピラインふくいに受け継がれています。

次回は、終点の福井駅に着きます。明るさが持ちます様に! 祈りながらの旅が続きます。

(文・写真) 住田至朗

※ハピラインふくいの許可をいただいて撮影しています。

※過去の写真はライター住田がプライベートで旅をした時のスナップ写真です。

※『JR路線大全 北陸・信越本線』(天夢人/2023)『国鉄の基礎知識』(創元社/2011)『停留場変遷大事典』(JTB/1998)『JR全駅・全車両基地』(週間朝日百科/60巻)他を参照しています。