2024年10月29日、関西大手私鉄として名を馳せる近鉄・阪急・大阪メトロ・阪神が計548駅で「タッチ決済」を導入した。クレジットカードやデビットカードなどを改札のリーダーにタッチすることで電車に乗車できるようにする仕組みで、まもなく始まる大阪・関西万博に先立ち、日本人だけでなく訪日外国人も気軽に「日本の鉄道」を利用できる環境を整える。ビザ・ワールドワイド・ジャパン コンシューマーソリューションズの寺尾林人部長に詳しい話をうかがった。

最初は「東京オリンピック」がきっかけ

ビザ・ワールドワイド・ジャパンが日本でタッチ決済を本格的に普及すべく動き始めたのは、2017~2018年頃までさかのぼる。1つの目標が2020年開催予定であった「東京オリンピック」。日本全体として決済環境をグローバルスタンダードなものにしていくことで、東京を訪れるインバウンドにとってもメリットが高い決済環境を構築する。換言すれば、海外の旅行者に現地へお金を落としやすい環境を提供することで、日本を潤わせる。

もちろんインバウンド需要だけを見込んだビジネスではない。Felicaスキームのおかげで、日本の消費者は「カードを端末にタッチして支払う」行為に慣れている。国際標準の技術を用いた「タッチ決済機能付きのカード」を日本でも普及させ、様々な場所で利用できるよう環境を整えれば、日本国内のカード利用者も違和感なくメリットを享受できるはずだ。

セキュリティ・安全性という観点からも、タッチ決済を普及したい理由がある。クレジット等のカードといえば、カード裏の磁気ストライプに情報が格納されているタイプ(いわゆるマグストライプ)が主流だったが、これは比較的偽造がしやすい。そこでICチップ付きのカードを端末に差し込む、いわゆる「接触IC」の技術が普及した。タッチ決済はこの接触ICと同様に安全技術・セキュリティ技術を高めており、暗号化した状態で情報をやり取りできる。

タッチ決済機能付きのVisaブランドのカード発行数は、2024年12月末には1億4000万枚に達した。他のブランドを数に入れずとも、統計上は国民1人が1枚以上タッチ決済機能付きのカードを所持していることになる。

Visaの対面取引でタッチ決済が占める割合は約50%に到達(日本)

では、この7~8年間でタッチ決済はどれほど日常に普及したのだろうか。筆者はコンビニや自動販売機で利用することが多いが、最近では飲食店でもタッチ決済を導入する店が増えたため、外食時に使うことが多くなった。一部のチェーン店では利用時に付与ポイントが増えるケースもある。

興味深いデータがある。ビザ・ワールドワイド・ジャパンによると、日本での対面取引におけるタッチ決済の割合はほぼ50%に達した(2024年12月末時点で47%)。Visaのカードを使う際は約2件に1件がタッチ決済になっているのが現状で、しかも単価が5,000円~10,000円といったお店でもタッチ決済で支払うケースが増えてきているという。

2022年7~9月期と2024年の同時期のデータを比較してみると、こんな具合だ。コンビニなども増えてはいるが、少し単価の高いスーパーマーケットなどではタッチ決済の取引数が約4.2倍、ドラッグストアでは6.8倍、レストランでは7.8倍に達した。「タッチでお支払いいただくと、あえて差し込んで払うということのわずらわしさが逆に際立つと感じられるのでは」と担当者は語る。

実際、カードの差し込みとタッチ決済を選べる状況であれば、筆者はVisaカードを登録したスマホをかざして顔認証で支払いを済ませることが多い。一度タッチ決済を使うと、財布からカードを取り出したり、暗証番号を入力したりするのが面倒に感じられる。タッチ決済でお支払い出来るのは〇〇万円までです、といった制限がなければ、全てタッチ決済で良い気がするほどだ。

公共交通機関での利用も着実に増えている。2020年にみちのりHDの「茨城交通」が高速バス「勝田・東海―東京線」で導入したのを皮切りに、航空路線を持つバス・鉄道事業者、自社だけで路線が完結しているローカル線などでの採用が続き、大手では南海電鉄やJR九州などが積極的な動きを見せた。2025年3月末時点では、37都道府県・140超の事業者がタッチ決済を導入している。

実際の利用件数は? 2024年と2023年の9月で比較すると、公共交通機関での利用件数は2.5倍ほどに増えているという。その翌月に関西大手私鉄4社一斉導入というインパクトがやってきた。

【参考】わずか1年で取引件数が38.1倍に――「Visaのタッチ決済」が日本の公共交通機関で急拡大 実は大手鉄道事業者も興味津々?【コラム】(2022年12月掲載記事)
https://tetsudo-ch.com/12845962.html

大阪・関西万博は大きなマイルストーン

相互直通運転などの問題もあり、タッチ決済は首都圏ではまだまだ「お試し」にとどまっている――そんなイメージが覆されたのが、昨年10月末の関西大手私鉄4社一斉導入だ。その後も、北大阪急行の路線や南海電鉄の未導入駅にも普及し、関西はタッチ決済で鉄道利用できる環境が整いつつある。

「できるだけ早く導入したいというのは、各社共通のご意見だったかなと思います。万博でインバウンドの来訪に備えるという観点でいうと、駅員の方々の慣れを含めて早めの導入が重視されていました」と担当者は語る。万博半年前の導入は「非常に良いタイミング」という。

もちろん、鉄道事業者だけに働きかけていたわけではない。2024年4月からは、「大阪エリア振興プロジェクト」と銘打ち、大阪地域に特にフォーカスしタッチ決済の普及に力を入れてきた。

代表的なものが事業者向けに提供している「Tap to Phone」だ。加盟店側のスマートフォンを、決済時のリーダー代わりに使えるようにするというもので、リーダーを用意するわずらわしさを取り払い、中小の加盟店もタッチ決済を導入しやすくした。

このほかにも大阪エリアで継続的にキャッシュバックキャンペーンを打つなど、Visaブランド全体でタッチ決済の普及に注力した。その成果はじき始まる大阪・関西万博で確認できるだろう。

交通系ICは競合? それとも共存相手? Visaの「理想」は……

鉄道関係で気になるのが交通系ICカードとの関係だ。タッチ決済が公共交通機関で受け入れられてきたのは、導入コストの軽さも1つの理由になっている。2024年11月、熊本県の鉄道会社やバス事業者が全国交通系ICカードの利用を取りやめた。現金・くまモンのICカードに加え、2025年2月からタッチ決済での支払いを可能にした。

ここで気になるのがJR東日本の動きだ。同社は2024年12月、「Suica」の将来像を発表した。直近では2025年春に長野エリアへ拡大することが予定されており、2027年春頃にはSuicaエリアを1つにまとめる。すでに北東北エリアで導入済みのセンターサーバー方式をベースに新たにサービスを追加し、エリア跨ぎで利用できるようにする。将来的には改札機がない駅でも入出場時に位置情報を利用して使えるようにする、といったテクノロジーも盛り込む。

センターサーバー化はコストダウンにつながる。JR東日本が掲げるのは「他交通事業者との協調、共生を行い、持続可能な交通系IC乗車券システムの実現に貢献」であり、ニーズに応じて利用できるようにする。仮にタッチ決済の価格面の優位が崩れるとしたら、熊本県のような事例は起こらなかったかもしれない。国際ブランド側としては無視できない動きだろう。

ビザ・ワールドワイド・ジャパンの担当者は、次のように語る。

「熊本地域ではタッチ決済ブランドの選択ということがありましたけれど、各地域、各事業者様の様々な事情が複雑に絡んでいます。今後ほかの地域も含めどうなっていくかは、個々の判断となっていくのかなと」

「我々としては日本全国津々浦々、どこでも使える環境を整えることが大事だと思っております。一方で『我々だけを受け入れてください』と言っているわけではありません。その前提で皆様にご判断をいただくということになるかと思います」

あくまでもVisaの目標は「全国どこでも使える環境を整える」ことだ。利用者目線で言えば、日々のおでかけや旅行でも同じカード1枚で処理が完結する、という状況が望ましい。地域によってはSuicaなどの交通系ICと競合し、ときには相互に補完し合う関係にもなるだろうが、「取って代わる」ことを目的としているわけではない。今後も利用者に寄り添ったサービスを提供しながら、47都道府県への速やかな導入に向けて動く。

今回の取材に協力いただいたビザ・ワールドワイド・ジャパン コンシューマーソリューションズ 寺尾林人部長

記事:一橋正浩
取材協力:ビザ・ワールドワイド・ジャパン

【関連リンク】