クリニックや薬局のある高架駅(大師前)

ここから大師線探訪。往路は西新井で下車して路線沿いを歩き、復路は10000系ワンマン列車で大師前から西新井に戻りました。

西新井は3面6線で西側1、2番線が大師線ホームです。東武スカイツリーラインは北千住~北越谷が複々線で、西新井も複々線区間です。

大師線1番線は行き止まりの頭端式。2番線は梅島、竹ノ塚のスカイツリーライン双方向に線路がつながります。現在の大師線は線区内運行ですが、かつては浅草(旧駅名・浅草雷門)発大師前行き列車もありました。
西新井を発車した列車はすぐに西方に向きを変えます。200メートルほど地上を走った後は高架に。沿線は住宅街。幹線道路をまたいで大師前に到着します。

高架上の大師前ホーム。シンプルな構造ながらドーム上の屋根に覆われるなど、いかにも平成生まれの駅を思わせます(筆者撮影)

大師前は基本無人駅で、自動券売機、自動改札機、自動精算機はありません。乗り換え、乗り継ぎの西新井での精算が必要です。

高架駅の大師前は3階が1面1線のホーム。1~2階にはクリニックや薬局がテナントとして入居します。表現は不適切かもしれませんが、ローカル線らしくない立派な駅という印象を受けました。

西新井大師は、正式には總持寺。平安時代の826年、空海(弘法大師)が関東巡行中に建立したと伝わり多くの信仰を集めます。駅の目の前が境内です。

西新井大師境内に大師前駅=写真右側=は隣接します(筆者撮影)

本来は伊勢崎線と東上線の連絡線だった

ラストは大師線のミニヒストリー。昭和初期、1931年の開業時の線区名は西板線でした。「西」は伊勢崎線西新井、「板」は東上線上板橋。計画延長11.6キロの西板線は伊勢崎、東上の2線をつなぐ東武悲願の連絡線でした。

しかし東側の1駅間、西新井~大師前が開業しただけで用地買収に難航し構想はざ折。戦時中は不要不急路線として運休期間があったものの1947年に復活、1991年に高架化されて現在に至ります。

伊勢崎、東上線を連絡する東武の夢は果たせなかったものの、開業100年の節目を前に東武、さらに日本のローカル鉄道の将来を託された大師線に、運命のめぐり合わせを感じさせられました。

記事:上里夏生