この辺りも新しい路盤にPC枕木。被災したんですね。旧山田線沿線は被災地が続きます。

国道45号線を越えます。左上は三陸自動車道。

ホントにあった恋の峠!恋の峠トンネル(300m)。

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視界が開けて鵜住居地区です。新しい路盤と線路が続きます。

両石駅から2.2kmで鵜住居(うのすまい)駅。駅の東にあって津波に流された釜石市立鵜住居小学校、釜石市立釜石東中学校の跡地に釜石鵜住居復興スタジアムが作られ2019年のラグビーワールドカップの会場になりました。16000人以上の収容人数です。しかし2019年10月13日のナミビア対カナダ戦は超大型台風19号の接近によって中止されてしまいました。既に書きましたが三陸鉄道リアス線も被災して釜石〜久慈間が不通になっていますから、開催していたら観客の鉄道移動が不可能でしたね。釜石市立鵜住居小学校、釜石市立釜石東中学校の児童・生徒は津波襲来前に高台に避難して無事でした。津波の遡上は標高20mにも達しました。この小中学生の避難は「釜石の奇跡」と呼ばれています。

2011年3月の津波で旧JR鵜住居駅は流失。見るからに駅の周辺全てが新しくなっています。交換列車は三陸鉄道36-207。

駅名標。1939年(昭和14年)鉄道省山田線の駅として開業。1985年(昭和60年)まではJR東日本直営駅で駅長さんもいました。JR東日本の駅になった後、2005年(平成17年)に駅は無人化されます。2011年の東日本大震災では大槌湾からの津波で、駅自体が流失してしまいました。旧駅は築堤の上にあった様な記憶があります。駅舎再建、復旧工事後2019年三陸鉄道に移管、再開。

2010年(平成22年)12月、震災三ヶ月前に通った時に撮ったJR東日本時代の駅名標。夕刻を過ぎています。

※2010年12月撮影

海からこの辺り一帯が津波で更地になってしまった様です。鵜住居町は、東日本大震災で津波による死者・行方不明者が583人という甚大な被害を受けました。悲劇は、犠牲者の半数近くが低地にあった「鵜住居地区防災センター」に誤って避難した人たちだったことです。

鵜住居町の北側を鵜住居川が流れています。標高20mにも達する津波がこの川を遡上したのですから、恐ろしい状況です。鵜住居川にも海際に巨大な水門が作られました。

海は防潮堤で遮られて見えません。勾配標は「L」水平を示しています。

被災地を見るのは辛くなりますが、残念ながら鉄道旅は続きます。

【私鉄に乗ろう98】三陸鉄道リアス線その13 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)