※2019年7月撮影

稚子塚駅から0.7kmで田添駅。トップ画像は田添駅に停車する下り列車。

この駅も単式ホームでホームに待合室があります。ホーム上に駅名標はなく待合室に付いているものだけです。

※2019年7月撮影

岩峅寺駅・立山駅側の踏切から駅・ホーム全体。奥が寺田駅方面。右側はトップ画像にも写っていた田圃。屋根付きの駐輪場は15台分ありますが、駐車場とトイレはありません。

※2019年7月撮影

待合室の駅名標。寺田駅方面です。待合室の部分、ホームの幅が広くなっています。ホーム長は2両分。1931年(昭和6年)富山電気鉄道の駅として開業しています。

※2019年7月撮影

こちらは岩峅寺駅・立山駅方面。北陸自動車道の高架が近くにあります。自動車の通過音が聞こえてきます。

※2019年7月撮影

待合室の壁面、岩峅寺駅・立山駅側に駅名が表示されています。右の森の様に見えるのは、北陸自動車道の土手です。緑のカーテンみたいで剥き出しよりも遥かに良いです。

※2019年7月撮影

次の五百石駅は立山町の中心にあります。田添駅から1.6km。大きな駅ビルは2012年(平成24年)に図書館などを統合して建てられた「立山町元気交流ステーション(みらいぶ)」です。建物全体を写真に収めるためにここまで下がっています。とにかく大きい!この写真もハイの部分が飛んでいます。すみません。

駅前の駐車場は短時間無料でした。駐輪場も100台分あります。トイレはもちろん水洗。

※2019年7月撮影

7月も下旬ですが巨大な七夕飾りがありました。そー言えば越中舟橋駅にも七夕飾りがそのまま飾られていましたね。旧暦まで飾るのかな。

※2019年7月撮影

駅ビルに入ると正面が改札口です。6:50~20:00は駅員配置です。右手前には図書館。

※2019年7月撮影

入場券200円を購入してホームに出ます。出入口は踏切の右奥。

※2019年7月撮影

構内踏切から寺田駅方面を見ています。相対式ホーム2面2線の左が下り1番ホーム、右は上り2番ホームです。かつて特急も停車していました。長いホーム。

※2019年7月撮影

上りホーム駅名標。寺田駅方面を見ています。

この駅は1913年(大正2年)立山軽便鉄道が滑川駅から上市駅を経て敷いた路線の終点駅として開業。立山軽便鉄道は1917年(大正6年)立山鉄道に改称しましたが、1931年(昭和6年)富山電気鉄道に合併されました。1936年(昭和11年)富山電気鉄道は五百石駅を移転、立山駅(岩峅寺駅附近にあった駅 廃止されました)までが狭軌(1067mm)に改軌され電化。戦時下の陸上交通事業調整法で富山地方鉄道に事業が統合されました。一時的に立山駅に改称されましたが1970年(昭和45年)に五百石駅に戻されています。というか細部を省略しています。立山線の歴史は輻輳しまくりなのです。

※2019年7月撮影

反対の岩峅寺駅・立山駅方面。左が大きな駅ビル。バリアフリーのスロープがあります。

※2019年7月撮影

下りホーム駅名標。背後は変電所の様です。というのは地図で確認してもよく分からないのです。

※2019年7月撮影

五百石駅は、1913年(大正2年)に作られたオリジナルの木造駅舎があったのですが残念ですね。

・・・って富山地方鉄道さんから古い貴重な写真をお借りしてきましたよ~。五百石駅の木造駅舎モノクロ写真です。

※提供:富山地方鉄道

撮影期日は不明ですが、写っているタクシーの一番左が日産ブルーバード810系に見えます。ということは1979年(昭和54年)まで生産されていました。一番右はスカイラインのC110型じゃないですか。これは1977年(昭和52年)まで生産されました。タクシーですから精々1~2年くらい使われるとして1981年(昭和56年)頃の写真ではないでしょうか。テキト~な憶測ですが。駅に「スパイラルコースター」の立て看があります。大川寺遊園に「スパイラルコースター」が導入されたのは1980年(昭和55年)ですから「当たらずとも遠からず」でしょうか。

(写真・記事/住田至朗)