乗降客数約353万人/日 ギネス認定世界一の新宿駅に到着【駅ぶら01】小田急線51
タイトルの通り新宿駅は1日平均乗降客数353万人、世界最多とギネスブックに認定されています。接続している西武新宿駅、都営地下鉄新宿西口駅を合わせると静岡県の人口に匹敵する約377万人が1日に乗り降りしていることになります。東京ドーム満員(約5万人)が75杯以上・・・。
踏切手前左側にかつて小田急本社がありました。踏切を過ぎて左側のJR東京総合病院に沿って左にカーブします。
急カーブなので前面展望が上手く写せません。JR代々木駅から新宿駅、甲州街道に抜ける道路の踏切は昔から変わらないです。その向こうは、屋上に南口やバスタ(バスターミナルですよね)新宿の方へ歩けるサザンデッキがあります。半地下状態で前面展望が撮れなくなります。
地下の緩行線ホームに到着。8両編成と10両編成の各駅停車が発着します。ホーム長の関係で、8・10両編成は新宿駅~新松田駅間の運転、小田原線栢山駅~足柄駅間に停車する列車と江ノ島線直通列車は6両編成になりますが成城学園前駅から新宿側には入ってきません。小田原線・江ノ島線・多摩線から新宿まで運転される各駅停車は存在しなくなっています。10両編成の各駅停車は新百合ヶ丘駅、相模大野駅で急行に変身します。間違っているかもしれません、小田急線の4・6・8・10両編成の変身などがとても複雑なのです。
9番ホームに入線。左の10番ホームは降車専用です。
奥に車止めがあります。
乗ってきた各駅停車は本厚木行になりました。右が降車用10番ホーム。左の9番ホームからも降りています。
駅名標。小田急の前身小田原急行鉄道の新宿駅が開業。当時は小田原駅まで2時間半かかったとそうです。今、ロマンスカーなら1時間ちょっとです。
戦時下の私鉄統合で東京急行電鉄に小田急、京王電気軌道が合併されます。1948年(昭和23年)東京急行鉄道の分割で小田急と京王帝都電鉄の新宿駅に戻りました。1964年(昭和39年)小田急電鉄新宿駅第1次大改良工事完成。立体式ターミナル化され地下ホーム使用開始。1967年(昭和42年)地上14階、地下3階の小田急新宿駅ビル完成。1982年(昭和57年)小田急電鉄新宿駅第2次大改良工事完成、地上・地下駅ホームが10両編成対応になりました。
地下ホームから階段を少し上がって改札口になります。両サイドにバリアフリーのスロープもあります。
右側にJRとの乗換改札口。
正面に西口地下改札口があります。真ん中に駅員さんのいる有人の案内ブースがあって、
左側にも改札口。
改札口の外から、
箱根そばの総本店本陣はお昼頃だったので行列ができていました。ここは、出汁の効いた蕎麦汁、蕎麦の外皮の入った粗挽き蕎麦粉の麺、小エビの入ったかき揚げなどの具材も含めてアップグレードされていて、代表的なかき揚げ天そばが530円です。ふつーの箱根そばはかき揚げそばが420円ですからソレなりに価格もアップしています。しかも1日2,000杯以上が食べられているというスゴイ駅そばなのです。
ちなみに売上げ第2位は小田原店、3位は海老名店、藤沢店、登戸店がほぼ横一列だそうです。海老名店、登戸店は駅構内なので入場券を購入して来店した場合は入場券代が返金されます。これ知っておくと便利ですね。
西口の地上に出ました。撮影は2019年11月15日(金)でしたがラグビーワールドカップの「MEGASTORE」がありました。
小田急ハルク。昔は高級家具を扱っていたイメージが個人的にあります。
小田急と京王の駅看板が並んでいます。
地下に降りて各駅停車に乗って一駅ずつ降りて写真を撮ります。エスカレーターの正面、かつては典型的な駅の売店(Odakyu Shop)でしたがセブンイレブンとの提携で違うお店になっちゃいました。改札口までの間にセブンイレブンができました。右の階段を登れば京王の新宿駅です。
では各駅停車で登戸駅まで全駅撮影に向かいます。
・・・というのは実際の撮影の話。コラム的には既に登戸駅から新宿駅までが終わっています。
次回は、小田原駅から相模大野駅まで乗ります。【駅ぶら01】小田急線52 に続きます。
(写真・記事/住田至朗)