トップ画像は、八丁畷駅下りホームに入って来た(たぶん)快特三崎口行。筆者はホーム北東の端にある東口改札に向かっています。

東口改札。

道を渡って東改札口と駅舎、右に京急線踏切。右奥に南武線浜川崎支線の高架線が見えます。

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下り列車が踏切を通過。

京急線と並行して商店街があります。わりに最近の写真には写っていた「八丁畷商栄会」という大きなアーチが無くなっています。さっそく行ってみました。

南武支線の高架下はショッピングセンターですがほとんどシャッターが閉まっていてシャッター街化している様でした。

普通の洋品店ですがコピーが奇妙なので気になりました。「わたしの街のべんりのお店」と書いてあるのです。

この場合は「便利な」という学校文法で言うトコロの形容動詞連体形を使うのが一般的ですよね。

このお店のケースは、たぶん「街のべんり」をメインで主張したいのだと思います。それならば「わたしの街のべんりがそろっているお店」という風にすればいいのかな。このままだと、「べんり」という商品化されたモノを売っているという些か不思議な印象を受けます。

全く余計なお世話ですみません。筆者は学生時代に進学塾で中高生相手に現代国語を教えるアルバイトをしていたので、その時の癖が抜けきらないのです。その割には「正しくない日本語」を使うので時々ご指摘を受けます。お恥ずかしい・・・。

閑話休題。

懐かしい佐藤製薬のサトちゃんとサトコちゃんが並んでいました。1959年(昭和34年)登場なのでサトちゃんも還暦を過ぎましたね。

駅前に戻ってきました。筆者は送電線の赤白鉄塔が好きなので、ついつい撮ってしまうのです。NTT DoCoMo川崎ビルの特徴的な三本の塔が横に見えます。

踏切を渡って京急八丁畷駅の西側に行きます。

南武支線の高架橋の下、この道は旧東海道です。左手前に何か塚の様なものがあります。

江戸時代以降、工事などの度にこの近辺で多数の人骨が発見されています。東大などの鑑定で江戸時代の人骨と判明。当時の大火、洪水、飢饉、疫病などを逃れようと街道で行き倒れた身元不明の死者たちを宿場の外れ八丁畷の並木の下に埋葬したのではないかと言われています。

1934年(昭和9年)地元と川崎市によって供養塔が建てられました。2013年(平成25年)地元の人々が無縁塚の整備工事に乗り出し、2016年(平成28年)現在の姿に整えられました。

無名の窮民たちの、悲痛な無念の思いが少しでも慰められますように手を合わせます。

無縁塚の先に京急八丁畷駅西口があります。

旧東海道の反対側から西口。

こぢんまりした改札口を入って、実際の【駅ぶら】撮影は京急川崎駅に向かいました。コラムは先に撮った前面展望に従って鶴見市場駅に向かいます。

【駅ぶら03】京浜急行28 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)