浦賀道に出会いました【駅ぶら03】京浜急行75

2020.06.16

追浜駅の改札の外、右の「えきめんや」さんでお昼を済ませました。

新しい副駅名になっている横須賀スタジアムのポスターがありました。

メインの東側に行く前に西側、湘南病院に直接いける出入口に行きました。

通路の工事をしていました。撮影は2020年3月25日です。

東側のペデストリアンデッキに出ました。京急ストアなどがはいっている駅前のビルが目立ちます。ペデストリアンデッキはあのビルまでつながっています。

ペデストリアンデッキへの駅出入口。

階段を降りて駅前ビルの方に行きます。橋上駅舎全体が見えます。

ペデストリアンデッキの下には国道16号線、正面の夏島貝塚通りを進めば小学生の時に来た敷地の広い日産追浜工場群があります。自動車のテストコースまであるのです。

国道16号線を進めば横須賀に至ります。

こちらは京急富岡駅から行った富岡総合公園の鳥見塚バス停に至ります。右手の盛り上がった岡がこれから向かう雷(いかずち)神社の森です。

雷神社の前に「傍示堂石塔群」に行きました。国道16号、雷神社の前を過ぎて100mほどです。この辺りがかつての浦賀道の武蔵国と相模国の国境で、山あいの難所だったのです。国境監視のために傍示堂と呼ばれる見張り小屋がありました。実は諸説あって旅人の難を見守る地蔵が置かれていてその地蔵堂が傍示堂と呼ばれたという説明もあります。

浦賀道の説明が掲示されています。内容をまとめると

江戸幕府が享保五年(1720年)に西浦賀に「浦賀奉行所」を開設。江戸ー浦賀間の交通のために二本の浦賀道が設けられました。

西側の浦賀道は東海道の平塚宿から鎌倉道に入り鎌倉を経て葉山、木古庭、平作、池田の各村を通り西浦賀に至っていました。

東側の浦賀道は、東海道の保土ケ谷宿から岐(わか)れ井土ヶ谷、上大岡、町屋、六浦の各村を通り浦郷村に入り、現在の国道16号線に沿って浦賀に向かいました。

ここに祀られている傍示堂の石塔群は、武蔵国(六浦村)と相模国(浦郷村)との国境・村境を分ける急峻な天神山脈の尾根を南北に浦賀道が貫いていた傍らに祀られ旅人や村人が願いを籠めた石塔群です。

歩道の幅では全体を画像に収めることができません。集められた地蔵や石塔は、元は現在の京急本線の通っている辺りにあったという事です。

反対側には「傍示堂の石塔群」という説明がありました。上の浦賀道の説明と重複しています。六地蔵、庚申塔、五輪塔などが説明されていますが煩雑になるので略します。字が小さいので写真では読み辛いかもしれませんね。

「傍示堂の石塔群」の前には国道16号線とその向こうに京急本線。旧浦賀道の六浦村は京急線横の崖を越えた方角になります。傍示堂の北東側も雷神社の岡に連なるような丘陵になっていますから古い時代には急峻な難所だった事も肯けます。

では国道を少し駅の方に戻って雷(いかずち)神社に詣ります。

【駅ぶら03】京浜急行76 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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