海浜の寒村が海軍航空の心臓部に【駅ぶら03】京浜急行76

2020.06.17

京急さんのホームページによれば、開業当時の追浜駅周辺は田んぼが広がる淋しい場所だったそうです。元々は海辺の寒村、浦郷村でした。ところが、大正5年、村の東外れにあった”おいはま”に日本帝国海軍航空隊が置かれて一躍脚光を浴びたのです。その地名”おいはま”が駅名になったのです。

以下、補足します。

日本海軍最初の航空隊「横須賀海軍航空隊=通称・横空」は、1916年(大正5年)軍用機の技術開発と操縦練習将校育成を目的に設立されました。併設された追浜飛行場を合わせると23万坪、横浜スタジアム29個分という広大な敷地でした。現在は日産自動車追浜工場や関連企業などの敷地になっています。

1930年(昭和5年)にはこの地で「予科練習生」制度が誕生します。軍歌などでお馴染みの「予科練」です。1937年(昭和12年)に予科練は土浦航空隊に移されました。1932年(昭和7年)横空に隣接して「海軍航空技術廠(しょう)」が設立されます。海軍軍用機技術開発の中心組織でした。

「横空」「海軍航空技術廠」は、終戦とともに米軍に接収されます。戦後は平和産業に払い下げられ、現在の工場地帯に変貌しました。日産自動車のテストコースは、横空の滑走路があった場所です。

「海軍航空技術廠」出身の技術者たちが戦後日本の技術開発を支えました。新幹線の車体開発を行った鉄道技術研究所の所長三木忠直氏、SONYの盛田昭夫氏、世界初の胃カメラを開発したオリンパス精機社長の深海正治氏などが「海軍航空技術廠」出身なのです。

雷神社、国道16号線の反対側から撮っています。樹齢500年と言われる御神木イチョウの大きさが目を引きます。

門前に行きました。

朱塗りの鳥居。右後にイチョウの大木があります。

社殿にはこの階段を上ります。階段下に賽銭箱が置かれている意味がよく分かります。(笑)

何度も書いていますが、筆者は右膝痛をかかえています。でもこのまま帰るワケにもいかないので、ヒ~ヒ~言いながら上りました。数え間違えていなければ39段有りました。(笑)

創建が承平元年(931年)と言われる歴史のある神社です。

天正9年(1581年)追浜沖の離れ小島にあった神社を領主の朝倉能登守がこの場所に遷座しました。かつては雨乞いの祈祷なども行われた様です。

旧社殿は木造・草葺きでしたが昭和20年代に焼失。昭和33年(1958年)現在の鉄筋コンクリート製の社殿が建てられました。

社殿の脇に「招き猫」だらけの稲荷社がありました。

さらに山側の奥、施錠された柵の中に階段と祠があって社と招き猫が飾られていました。これは何でしょうか?

本来は社殿の奥、山の上に奥宮がありましたが、現在は御神木があるだけだそうです。

階段の上から大イチョウを見ています。葉が黄色く染まる頃に再訪したいです。

やれやれ、また階段だ・・・と思ったら社殿の脇に細い径が造られていました。階段よりは坂の方が膝は、はるかに楽なので知っていればこちらから登ったのになぁ・・・。

社殿への長い階段の左手に、慰霊碑と社が並んでいます。京急富岡駅から行った現在は富岡総合公園になっている場所に、帝国海軍横浜航空隊があり、隊の守護神として創建された「鳥船神社」跡地に戦後、慰霊などのために元航空隊の方々などが「浜空神社」を建て、亡くなった二千余柱の英霊を祀りました。しかし世話人たちの高齢化などで「浜空神社」の維持が困難になったため、平成二十年(2008年)雷神社のこの地に遷座されました。追浜の海軍航空隊戦没者の英霊も共にこの地で永遠に祀るということです。

追浜駅への帰路、国道16号線から一本京急線側の裏道を通ってみました。飲食店などが並んでいます。

駅の品川側に踏切があり、ホームが見えました。踏切を渡って追浜駅西口直結の湘南病院に行くこともできます。

これから三浦半島に入り込んで行きます。今回の京急【駅ぶら】では、この後、さらに凄まじい「階段の責め苦」が待っているのです。(泣)

【駅ぶら03】京浜急行77 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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