線路の向こうはアメリカ合衆国【駅ぶら03】京浜急行106

2020.07.17

駅名標。1930年(昭和5年)湘南電気鉄道が金沢八景駅から湘南逗子駅間を開業した時は駅はありませんでした。翌1931年(昭和6年)現在の位置よりも約300m六浦駅寄りに仮駅として神武寺駅が開業。金沢八景側の「2」番トンネルを抜けた場所に駅があった様です。1936年(昭和11年)駅に昇格。湘南電気鉄道が京浜電気鉄道に合併され、戦時下の大東急時代、1944年(昭和19年)現在の位置に駅が移設されました。1948年(昭和23年)京浜急行電鉄発足で京急の逗子線の駅になります。

2006年(平成18年)旧駅舎撤去、仮駅舎で営業。2007年(平成19年)新駅舎完成。

2008年(平成20年)米軍池子住宅敷地内に新たに改札口(Commander Fleet Activities Yokosuka Dtachment Jinmuji Station)が設置されました。

※写真撮影が京浜急行の駅名改称3月14日以前なので隣駅が新逗子になっています ご了承ください

ホームから見える総合車両製作所横浜事業所専用鉄道線に札が立っています。

左側のフェンスから向こうは在日米軍、右側、米軍住宅専用改札口のある方が京浜急行となっています。

総合車両製作所横浜事業所専用鉄道線は、元は旧帝国海軍が昭和13年(1938年)広大な弾薬庫を池子に作った際に軍事物資運搬用に設けられた軍用線だったのです。戦後、池子弾薬庫は米占領軍に接収され、米陸軍が弾薬庫として使用、1970年(昭和45年)米海軍に移管されます。

1972年(昭和47年)一部が返還され現在の逗子市第一運動公園が作られました。

1973年のヴェトナムから米軍が撤退後、池子弾薬庫は閉鎖され、米海軍の住宅が建設されました。1998年(平成10年)には全854戸が完成、約3400人の米海軍の軍人軍属・家族が生活しています。

休日など神武寺駅でアメリカ人の子供連れなどが京急線に乗ってきます。神武寺駅の構内踏切の先に米軍住宅専用の改札口があるのです。この改札口の先はアメリカです。米海軍の許可がなければ改札口を通ることはできません。

米軍住宅専用改札口への構内踏切からホームの裏側(新逗子方面)を見ます。先に見えるフェンスから向こうが「在日米軍」です。その手前まで架線があります。

反対側、金沢八景方面で狭軌(1067mm)は京急線の標準軌(1435mm)と合流して三線軌条になります。

その部分を望遠レンズで撮りました。

では改札口を出ます。

駅舎、線路の向こうにある米軍住宅専用改札口も見えます。

線路に沿って新逗子側の踏切まで歩きます。向こう側は星条旗のアメリカ合衆国です。

踏切まで来ました。何と複数のガードマンが立っていて「京浜急行の踏切からこちらに入らないように」とかなり強く言われました。

遠くには総合車両製作所横浜事業所専用鉄道線に駐められた電車が見えています。奥のマンションは米軍住宅です。

踏切の向こうは形式的にはアメリカですが、ふだんは米軍住宅のゲートまで自由に立入できます。週末は左側の逗子市池子陸上競技場、池子の森グラウンド、逗子市野球場などを予約して使うこともできます。また真っ直ぐ行くとある「池子遺跡群資料館」に行くことができます。でも高圧的なガードマンに逆らうのもイヤなので諦めて逗子市第一運動公園に向かう事にします。鉄道ファンらしき方がカメラを持って踏切に立っています。

逗子市第一運動公園に向かって歩いて行くと湘南ビーチFM、ラジオ局があります。

道をはさんで反対側に中華の「福来成(ふくせ)」があります。ここのサンマー麺は抜群です。週末はアメリカ人の家族が並んでいますが、ウィークデイなのとコロナ・ウィルス騒動で閑散としてました。

では、次回は逗子市第一運動公園に静態保存されている京急車両を見に行きます。

【駅ぶら03】京浜急行107 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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