三浦海岸駅から三浦海岸までは5分もかかりません。三浦海岸交差点です。やっぱり海は良いですね。

陽射しの加減で海の色が変化します。海は空の青を映しているからです。

三浦海岸交差点から来し方、山の左端手前辺りがYRP野比駅かな。京急長沢駅、津久井浜駅の海岸がここまで続いています。「これが三浦海岸だ」という気分です。

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望遠レンズで撮ってぶっ飛びました!

見えますか? 千葉県富津の山の上、東京湾観音(背の高さ56m)です。直線距離で20kmは離れていますよ~。

すげぇ~! ・・・と空を見上げたらトンビ君(たぶん)が優雅に飛んでました。いいなぁ。気がむいたら観音サマのところまでひとっ飛び。

三浦海岸交差点から国道134号線を南に300mほど歩いて、ここを右に曲がります。

十劫寺に向かうと左側に庚申塔群があります。青面金剛の像が面白いので立ち止まって見入ってしまいました。

珍しいことに、左から三つ目は昭和に建立されている新しい庚申塔です。1980年(昭和55年)に建てられた文字だけの庚申供養塔。台座に講中の人々がたくさん刻まれています。

一番古いのは右から二つ目。1699年(元禄12年)青面金剛の下に三猿が一匹しかいないと思ったら塔の両側に掘られていました。珍しいタイプです。しかし三浦半島には庚申塔がいっぱいあります。

庚申塔の先が十字路になっていて三浦市の立札がありました。

内容を写します。

笹塚不動尊

十劫寺は、浄土宗正覚山成等院と号し、土地の豪族である二代松原新左衛門を開基とし、芝西応寺の住職厳誉が退隠後、このお寺を開きました。本尊は阿弥陀如来です。

客仏の笹塚不動明王は、昔、上宮田水深(みずぶか)の西方(現在の上宮田小学校敷地内)の小高い丘に不動堂があり、明治末頃まで、その本尊として祀られていました。この地を「笹塚」と称していました。

この不動尊は、天文十五年(1546年)、泉円の作であることが像に書かれた銘文から分かります。

永禄十年(1567年)九月に里見氏が海を渡って当地に来襲した際、これを北条氏が三崎水軍を率いて菊名沖に迎え撃ちました。

その時、突然の荒天に襲われ、北条の軍船は進退極まってしまいました。この時、土地の豪族初代松原新左衛門が海岸に火を焚いて目標としたので、北条軍は無事海岸に着くことができました。そして、風雨の治まった翌日に、ふたたび北条軍は里見勢を攻め、大勝しました。

氏康は、新左衛門の功ををたたえ感状をさずけました。これを喜んだ新左衛門は、日頃信仰する笹塚不動尊で神楽を奏して、この感状を披露したと伝えられています。

明治元年(1868年)の神仏分離令により、それまで祀られていた笹塚の不動堂から十劫寺へ移され、以降大切に守られてきました。

三浦市

浦賀駅を【駅ぶら】した時に行った東叶神社裏山の頂上、浦賀城趾は北条氏が房総半島の里見氏来襲に備えた水軍の城でした。文中の里見氏を迎え撃った菊名沖は、先ほどの角を曲がらずに真っ直ぐ200m程進んだ辺りです。現在の菊名海水浴場沖でしょう。

では十劫寺に向かいます。【駅ぶら03】京浜急行153 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)