※2014年3月撮影

トップ画像は、静内駅ホームに停まる様似行キハ40-357。コンデジのレンズに汚れが付いていて画像の右側が一部滲んだ様になっています。これは現場、コンデジの小さなモニターでは全く気付かず、帰宅後大きなモニターに映して初めて分かりました。以降、鉄道旅中、時折レンズを見て汚れを拭くことを習慣にしました。しばらく画像が見苦しいことを御容赦ください。

清畠駅を出た後、車窓に広がる太平洋。

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※2014年3月撮影

大狩部駅に近づきます。日高本線の横は太平洋の波が洗う護岸です。

※2014年3月撮影

大狩部駅。駅の前後は、この翌年低気圧と台風で線路がグニャグニャになってしまいます。

※2014年3月撮影

これはこの日の帰路に撮った写真。吹雪と窓が少し曇っていて紗がかかった様な写真になっています。往路はこの駅でお婆ちゃんが一人降りました。駅を中心にする半径1km(直径2km)の円内に、19世帯42人が住んで居ます。(2010年国勢調査)と言っても円の半分は太平洋です。

※2014年3月撮影

これも帰路の後方展望。吹雪で往路になかった雪が少し積もっています。

※2014年3月撮影

※オリジナルが縦なので写真を加工しています

節婦駅。江戸に”SEP”という音楽系専門の映像制作会社があります。映画も作っていますが、友人が社長をやっていたので、駅名標の写真を贈ろうとしましたが撮影に失敗。駅舎の写真をあげました。駅名は駅所在地の地名です。

※2014年3月撮影

新冠、駅名標。1926年(昭和元年)日高拓殖鉄道の高江駅として開業。翌1927年(昭和2年)国有化され駅名も新冠に改称。帰路、吹雪の中の写真です。

※2014年3月撮影

往路では、カップルが降りました。駅舎は、1999年(平成11年)新冠町の施設「出会いと憩いのセンター」として改築されたものです。無人駅ですが駅舎内に町の特産品展示コーナーがあります。でも販売はしていません。

※2014年3月撮影

※オリジナルが縦なので写真を加工しています

日高本線列車運行の要、静内駅です。広い駅前広場、駐車場があります。2001年(平成13年)改築された駅舎。

※2014年3月撮影

有人駅、日高本線では苫小牧とこの駅だけが改札業務をしています。新ひだか町観光情報センター「ぽっぽ」が併設されています。

※2014年3月撮影

西谷弁当店の駅そばがあります。停車時間が微妙でした。食べたかったけれど写真を撮る方を優先したのです。

※2014年3月撮影

駅名標。しかし、写真が下手ですねぇ。トップがキレてます。実は、この直前、構内踏切を急スピードで走ってきた少年が、筆者の眼の前でハデに転んで、頭部は打っていないので心配はしませんでしたがズボンはビリビリになって血を流しているので手持ちのマキロンとバンドエイド等で応急処置をしていたのです。中学の卒業旅行だと言っていた少年もそろそろ成人したはずです。元気で「鉄」しているかな。

※2014年3月撮影

静内駅は、1926年(昭和元年)日高拓殖鉄道の終点駅として開業。翌年国有化され日高本線の駅になります。1938年(昭和13年)静内機関区が置かれました。1959年(昭和34年)機関区が廃止されましたが、1968年(昭和43年)追分機関区静内支区が設置され、翌1969年には苫小牧機関区静内支区になりました。2015年(平成27年)1月8日、低気圧の高波で鵡川~様似間が不通になりましたが同月27日静内~様似間で列車運行を再開。しかし2月28日、列車の運行は休止され代行バスに替わりました。

写真は左がキハ40-357の行先標部分、左は帰路の静内駅、吹雪が強くなってきたという望遠レンズでのカット。

※2014年3月撮影

同じく帰路の静内駅。広角系なので雪はあまり強く見えません。

※2014年3月撮影

では様似駅に向かいます。

(写真・文/住田至朗)