【廃止から1年 北海道・夕張支線の「いま」を訪ねて(4)】 鹿ノ谷駅と夕張駅の古今物語

2020.06.07

【廃止から1年 北海道・夕張支線の「いま」を訪ねて(3)】 清水沢駅と三菱石炭鉱業大夕張鉄道
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かつて夕張鉄道が乗り入れていた「鹿ノ谷駅」

炭住をイメージさせる駅舎

鹿ノ谷駅は、1901(明治34)年12月1日に、北海道炭礦鉄道の新駅として開業しました。明治末期には、若菜辺専用鉄道2.9kmが接続したり、大正末期から昭和中期まで夕張鉄道線(栗山~夕張本町)の駅として共同使用されるなど、主要な役割を果たしていました。鹿の谷地区は幹部用住居が存在するほか、近くに高校が二つあり、通学する生徒で賑わっていました。現在は駅舎がポツンと残され、広大なヤード跡が当時を偲ばせています。

日々とした構内を横切る跨線橋

鹿ノ谷駅は、1960年代まで石狩炭田から採掘していた炭鉱を集積する駅として賑わっていました。夕張は最盛期に20もの炭鉱がありましたが、度重なるガス爆発や海外炭の普及により競争力を失い、多くが閉山に追い込まれました。鹿ノ谷駅から反対側まで伸びる長い歩道橋は、当時の名残。今や林と化したそこには、たくさんの石炭専用貨車が連なっていました。

複線化された橋梁

駅付近の複線の橋梁は夕張鉄道時代の鉄道遺産。当時の写真を見ると、現在の状態から想像できないほどレールが敷き詰められ、切れ間なくSLが往来していたそうです。頑丈な橋梁の上を、幾つものSLが通り過ぎる様子は、さぞ迫力があったことでしょう。

駅前は倉庫を改造した会社のほか、まばらに民家があるだけ

ちなみに駅名は「鹿ノ谷」と表示されていますが、町名は「鹿の谷」です。国道の標識は「鹿の谷駅」と表示し、近くにある郵便局は「鹿ノ谷郵便局」を名乗っています。

時代に翻弄されて移転を繰り返した「夕張駅」

夕張駅はカフェとして活用

夕張支線の終着駅、「夕張駅」に到着しました。1892(明治25)年11月1日に、北海道炭礦鉄道の駅として開業。1906(明治39)年10月1日に国有化されました。石炭輸送のため、開業当初は炭鉱のある高松地区(かつて石炭の歴史村があった場所)に駅舎が設置されていましたが、1980年代に夕張市が観光都市路線を打ち出し、1985(昭和60)年に中心部に移転しました。

カフェ&スイーツ「和(なごみ)」

さらなるリゾート開発に伴い、ホテルマウントレースイ前に新駅を設置する構想が浮上しましたが、諸事情により見送られ1990(平成2)年に夕張駅がホテル前に移転しました。炭鉱、観光と街の基幹産業が変わるにつれて、夕張駅は3度の移転を行いました。鉄道が廃止され、駅としての役目を終えた現在は、カフェ及び案内所として第二の人生を過ごしています。

石炭で栄えていたころ、夕張の繁華街では酔っ払い同士の喧嘩も絶えなかったと言います。高倉健が主演した映画「幸福の黄色いハンカチ」は、そんな時代の夕張が舞台となりました。かつてはナイトスポットが立ち並んでいた梅ヶ枝横丁も今は昔の夢。ノラネコたちが闊歩するゴーストタウンと化しています。

廃止跡から人の営みの痕跡を見つける

ここ数年、廃線跡を訪れることが静かなブームになっています。それは鉄道の形跡を探し出すことで、かつてそこで過ごした人たちの営みに触れる喜びがあるからではないでしょうか。今回、夕張支線跡を訪ね、列車が通ることのないレールから鼓動が、人影のない街から笑い声が聞こえてきたような気がしました。

文/写真:吉田匡和


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