充実した散歩ができました【駅ぶら04】西武狭山線

2020.12.18

※2020年11月撮影

トップ画像は、荒幡富士の荒幡浅間神社の入口。

浅間神社は、富士山信仰の神社、木花咲耶姫命が祭神です。海彦山彦のお母さんですね。ご挨拶しました。

※2020年11月撮影

浅間神社の本殿の奥に荒幡富士があります。登山口には鳥居があります。

※2020年11月撮影

以下は、所沢市のホームページの記述です。

「荒幡の富士」(標高約119メートル)は、人工の富士山です。荒幡村(現在の所沢市荒幡)には、小字ごとに鎮守があり、村民氏子はそれぞれ分かれていました。しかし、それでは村内の民心の統一が図れないと憂い、明治14年(1881年)に三島神社・氷川神社・神明神社・松尾神社の4社を、村社の浅間神社に合祀して松尾神社の社地へ遷しました。さらに村の和を増大させるため、明治17年(1884年)から旧浅間神社の社地にあった富士山の村民共同による移築作業を始めます。明治32年(1899年)、15年の歳月をかけて「荒幡の富士」は完成しました。

完成後、「荒幡の富士」は何度か存続の危機に見舞われます。大正12年(1923年)の関東大震災では、8合目から上が崩落したと伝えられ、また、戦後は一時荒れるに任せた状態になったこともありました。しかし、その都度住民が総出で復興にあたり、原形の保存に努めてきました。平成23年(2011年)の東日本大震災後も一部修復が行われました。

現在は、地域住民の皆さんが結成した「荒幡富士保存会」により、定期的に大掃除やパトロールなどが実施されています。

補足します。

明治5年の社格制定で浅間神社が村社に列せられ、三島神社以下は無格社となりました。それで村内の統一と民心の安定をはかるため、明治14年9月村内浅間久保にあった浅間神社を西ヶ谷松尾神社の地に移し、それと共に三島神社以下を浅間神社に合祀することになったのです。

標高は119mですが、村人がバケツリレーで土を運び人工的に築いた富士山の高さは約12mです。純粋な人力ですから15年もかかったのですね。

荒幡富士の麓に猿田彦大神の石碑と社。

※2020年11月撮影

その横の石祠、刻まれている文字は残念ですが読めませんねぇ。

※2020年11月撮影

荒幡富士は、一合目から九合目まで石の杭に刻まれています。その前に松尾大神。祭神は、浅間神社の大山咋神と狭依姫命です。

※2020年11月撮影

山頂には石の祠があります。

※2020年11月撮影

明治三十二年四月吉日 久米川石工 工藤堂寅之助 と刻まれています。荒幡富士が村人によって築かれ完成した年にここに置かれたのですね。ほぼ120年前、1899年です。

※2020年11月撮影

近隣住民の荒幡富士保存会が設置した眺望案内板。

※2020年11月撮影

残念ながら逆光で眺望はほとんど見えません。

※2020年11月撮影

反対側、足下の神社本殿・拝殿と荒幡富士登山口の鳥居。遠くにおそらく所沢辺りの高層ビルも見えました。

※2020年11月撮影

こちらは浅間神社入り口の鳥居と境内。

※2020年11月撮影

下山して駅まで戻り、線路の北側の県道55号線を西に歩きます。狭山茶を買おうと思いましたが店は閉まっていました。残念。

※2020年11月撮影

駅から500mほどで山口城趾の看板がありました。

※2020年11月撮影

交差点の角に案内板がありました。埼玉県指定文化財「山口城趾」です。平安末期から鎌倉・室町時代にかけてこの地を本拠とした武蔵武士の山口氏の居城跡です。

※2020年11月撮影

見難いのですが看板の一部を拡大しました。推定される城の範囲です。

※2020年11月撮影

交差点の反対側から看板を撮った写真。

※2020年11月撮影

実際に看板の背後にあった城趾には礎石の様な石がありました。

※2020年11月撮影

下山口駅、なかなか充実した散歩でした。楽しくて都合2時間以上も散歩に費やしてしまいました。冬至も近くなって日が短いのが残念。

(写真・文章/住田至朗)


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