JR北海道単独維持困難路線を訪ねて 晩秋の富良野~新得の旅「1」
2016年8月に発生した台風10号で被害を受けた根室本線は、現在も復旧作業が開始されておらず、東鹿越~新得でバス代行が続いています。JR北海道は同区間を含む富良野~新得を「維持が困難な区間」に挙げており、このまま廃止されることが濃厚です。晩秋の同区間を全3回に分けて紹介。第1回目は富良野~山部を旅しました。
北海道中心の街 富良野駅
根室本線は、函館本線・滝川駅から帯広や釧路を経由して根室駅を結ぶ443.8km の長大路線です。滝川~新得は札幌圏と道東を結ぶ幹線として位置づけられ、特急や急行が運行されていましたが、1981年10月1日の石勝線開通後は地域輸送を担うローカル線となっています。
富良野駅は1900年8月1日に北海道官設鉄道十勝線の下富良野駅として開業しました。現在は根室本線(富良野~滝川・富良野~東鹿越)と富良野線(旭川~富良野)が発着しています。夏はラベンダーなどの花々が咲き乱れ、冬はウインタースポーツが楽しめる通年型リゾートです。
大正3年から約2年間、京都帝国大学の博士が、富良野を北海道の中心地点として地球の重力や経緯度などの測定をしたことから、富良野小学校の敷地内に中心標が建てられました。 また「中心」=「へそ」から毎年7月27、28日には「北海へそ祭り」が開催され、腹部を顔に見立てた踊り手が街を踊り歩いています。
北の国から始まりの駅 布部駅
富良野駅を出発した列車は田園地帯を南下します。最初に停車するのは「布部駅」。アイヌ語の「ヌム・オッ・ペツ(クルミの多い川)」に由来。1927年12月26日に開業しました。
富良野を舞台にした倉本聰脚本の人気ドラマ「北の国から」の第1話で、東京から移り住んだ田中邦衛演じる黒板五郎とふたりの子どもたちが最初に降り立った駅として知られ、ファンに「聖地」と呼ばれています。待合室には当時の写真が飾られているほか、駅前に「北の国 此処に始まる」と書かれた倉本氏直筆の木製の記念碑が立てられています。
現在、布部駅は1面1線の無人駅ですが、昭和初期まで東京帝国大学農学部北海道演習林・麓郷森林鉄道が分岐しており、1982年11月15日までは貨物の取り扱いも行われる有人駅でした。駅前に集落があるものの、鉄道を利用する人は僅か。現在も残された貨物線が当時の面影を残しています。
かつて富良野市内には「北の国から資料館」がありました。運営していたのは麓郷木材の仲世古善雄氏。農協の米倉庫を改装して2003年に本格的に開館しました。最盛期は年間9万人もの人が訪れましたが、次第に入館者数が減少し、2016年に閉館を決意します。「資料館がなくなる」というニュースが流れると、閉館を惜しむ人たちが月間1万人も駆け付けました。最終営業日となる8月31日は多くの人に見送られる予定でしたが、台風10号が富良野地区を直撃。雨と共にお別れムードは流れ去ってしまいました。
登山客に向けた山小屋風の駅 山部駅
北海道官設鉄道⼗勝線の信号停⾞場として1900年12⽉2⽇に開業し、翌年4⽉1⽇に⼀般駅に昇格しまし た。地名はヤムペ(冷たい・⽔)、ヤムアエ(栗を・我ら・⾷べる)または、ヤムペッ(冷たい・川)に由来すると言われています。
山部地区の歴史は1897年に札幌農学校(現在の北海道大学)が地質・地形の調査を開始し、同34年に北海道大学農学部が山部第8農場を設けて小作人を募集したときに始まったと言われています。1915年に下富良野から分村して「山部村」になり、1965年1月1日に町制施行。翌年5月1日に富良野市と合併しました。
ホームは2面2線で、駅舎側の2ホームには1911年に建造されたレンガ造りの危険品庫や開業当時に建てられた詰所1号が残されています。芦別岳へ向かう登山客が多かったことから、1988年に駅舎は山小屋風に改築されています。駅前には商店や旅館などが並んでいますが、1日の乗降客数はそれほど多くありません。
まばらな客を乗せて一両のディーゼルカーが走り去りました。「小型バスでも対応可能な客のために、鉄道を維持する必要があるのか」という思いがよぎります。旅は紅葉が美しい金山地区、代行バスで結ばれる幾寅地区へと続きます。
文/写真:吉田匡和
【次回】JR北海道単独維持困難路線を訪ねて 晩秋の富良野~新得の旅「2」
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