【前回】JR北海道単独維持困難路線を訪ねて 晩秋の富良野~新得の旅「1」
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2016年8月に発生した台風10号で被害を受けた根室本線は、現在も復旧作業が開始されておらず、東鹿越~新得でバス代行が続いています。JR北海道は同区間を含む富良野~新得を「維持が困難な区間」に挙げており、このまま廃止されることが濃厚です。晩秋の同区間を全3回に分けて紹介。第2回目は下金山~東鹿越を旅しました。

富良野観光の隠れ家的エリア 下金山駅

かつての島式ホームは単線ホームとして使用

下金山駅は1913年10月1日に開業しました。大正時代から昭和初期まで森林鉄道を分岐し、東京大学演習林内から木材の積み出しに活用されていました。駅舎とホームが離れているのは広い構内の名残。1982年11月15日に貨物・荷物の取扱いの廃止により島式ホームの1線が撤去され、単式ホームとして使用されています。

居心地が良い古民家カフェ

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下金山駅から徒歩圏内にある「Cafe & Bread IPPO」では地元の食材を使用したランチやカレー、バーガーなどが味わえます。北海道産小麦&天然酵母使用の手作りパンも販売している富良野エリアの隠れ家的スポットです。

地元の食材を使用した料理が豊富

旅の途中に立ち寄り、和出汁テイストのグリーンカレーをいただきました。辛さとココナッツミルクの甘さが絶妙で具材一つ一つの美味しさが際立ちます。通年営業で火曜日が定休日(基本は不定休)、11時から日没までオープンしています。

ゴールドラッシュも今は昔の夢 金山駅

秋晴れの中にたたずむ金山駅

「金山」の地名は黄金が採掘されたことを由来としています。富良野地方に開拓者が入植したのは1897年のことですが、それ以前の1889年~1891年頃にトナシベツに砂金堀の人たちが入っていました。「十梨別川で光る玉を手に入れたと噂が流れ、それを聞きつけた一団が苦難の末に十梨別にたどり着き、光る玉を手に入れた」と伝えられています。

かつて賑わいを見せていた駅前も今は閑散としている

金山駅はゴールドラッシュ終焉後の1900年12月2日に開業しました。当時の金山は空知と日高を結ぶ交通の拠点で、金山峠を越えて占冠へ向かう宿場町として駅前に旅館が立ち並んでいたと言います。1908年から1930年まで富士製紙が操業。1958年まで金山森林鉄道を分岐するなど賑わいを見せていました。

主要駅だった面影が随所に残されている

時代と共に金山駅は役割を失っていきます。1982年11月15日に貨物・荷物の扱いを廃止。1986年11月1日に無人化されました。駅舎側のホームにはレンガ造りの危険品庫や百葉箱が設置されるなど、ところどころに当時の面影を残しています。

待合室に吊るされたピエロが何かを語り掛けているようだ

駅は集落から離れており、訪れるひとはほとんどいません。薄暗い待合室に吊るされたピエロは、静かに終わりの時を待っているかのようでした。

災害によって廃止を免れた数奇な駅 東鹿越駅

数奇な運命をたどる東鹿越駅

金山駅の隣の「鹿越仮乗降場」は1986年に廃止。同じく東鹿越駅も2017年3月のダイヤ改正に合わせて廃止される予定でしたが、前年8月に発生した台風10号により当駅を含む根室本線・富良野~音別が不通になり、同駅から新得方面の復旧が進まないことから滝川方面の実質的な終着駅として営業を継続しています。

実質的な終着駅

東鹿超駅は1941年12月29日に信号場として設置され、1946年に一般駅に昇格しています。駅の近くで日鉄鉱業東鹿越鉱業所や王子木材緑化鹿越鉱業所が操業。かつてはそれぞれの専用線も存在していました。周囲に民家はなく駅前にはかなやま湖が広がるのみ。JR北海道は東鹿越~上落合信号場間の復旧費用が10億5000万円と発表しており、復旧工事は行われていません。1997年3月22日に貨物列車の運行が終了し、無人化された時点で駅としての役割を終えていたと言えるでしょう。

山間の色彩が湖面に映し出される

列車に合わせて駅前から新得まで代行バスが発着しています。十勝サホロリゾートの無料送迎バスとしての機能を併せ持っていますが、同リゾートに向かう乗客はほとんどいません。代行バスに乗り換え、車窓から晩秋のかなやま湖を望みながら旅を続けました。

文/写真:吉田匡和

【次回】JR北海道単独維持困難路線を訪ねて 晩秋の富良野~新得の旅「3」
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