※2020年12月撮影

トップ画像は、和歌山線高野口駅。個人的には和歌山線でベストの木造駅舎でした。駅舎が線路と平行にあって妻入りの駅舎。寄棟屋根は屋根瓦が新しく葺き直されていました。建物財産標があって記載は「明治45年4月」。1912年は、7月30日からは大正元年になりました。山陰本線の旧・餘部橋梁が完成した年です。

黒っぽいサッシ窓の部分が駅事務室でその手前は広大な待合室です。

※2020年12月撮影

駅舎の東側には駐輪場があります。右上に駅舎側の下り1番線ホーム。上りホームには構内跨線橋で渡ります。

※2020年12月撮影

駅を出て和歌山線に沿って西に歩くとお庭と四阿があります。その横に公衆トイレ。コミュニティバスのバス停になっています。

※2020年12月撮影

南に向かって旧大和街道が延びています。時刻は13時半、かなり空腹です。とにかく船戸駅以来、飲食店がありそうな雰囲気は皆無でしたから、コンビニエンスストアくらいは有るだろうと歩き始めました。

※2020年12月撮影

しかし、700m以上歩きましたが国道24号線に出てもコンビニもパン屋も何もないのです。諦めて唯一開いていた肉屋さんの店頭で売られていたコロッケを買って飢えをしのぎました。とても美味しかったけど、流石に少々胸焼け。(笑)

怪我の功名というか江戸時代から続く商家の邸宅がありました。

※2020年12月撮影

駅に戻ってきました。

※2020年12月撮影

高野口駅は、1901年(明治34年)紀和鉄道が名倉(なくら)駅として開業。1903年(明治36年)高野口駅に改称。関西鉄道の紀和鉄道買収をへて国有化され1909年(明治42年)には線路名称制定で和歌山線の所属駅になります。

高野山への参詣客で賑わう駅で、駅前には旅館が十数軒並んでいました。1913年(大正2年)駅には、300台近い人力車が並んで高野山参拝客を待っていたそうです。

しかし、昭和4年(1929年)に南海電鉄の高野線が全通し、1930年(昭和5年)には高野山に登るケーブルカーも開業、高野山口駅の高野山参拝客は激減。

国鉄分割民営化でJR西日本の駅になり、時期は分かりませんが業務委託駅になりました。逓信省コンビは不思議な方向を向いています。

※2020年12月撮影

駅出入口。広大な待合室、正面左にシャッターの閉じられた窓口があります。

※2020年12月撮影

駅前に高野山参拝客で賑わった頃の旅館「葛城館」があります。明治時代の木造建築は国の登録有形文化財になっています。素晴らしい木造建築です。

※2020年12月撮影

写真を撮っていたら葛城館の方が偶然出てこられたので、ご挨拶をしてちょっとだけお話しをうかがいました。葛城館と棟続きの南側がご自宅の様でした。1994年(平成6年)までは営業されていましたが現在は休業中。2012年(平成24年)に数千万円かけて大規模な保存修理をされています。古い窓ガラスをキレイに維持するのがタイヘンだそうです。

※2020年12月撮影

玄関から葛城館の内部。階段と登録有形文化財の銘板。

※2020年12月撮影

※鉄道の撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいています。撮影は何よりも安全が最優先。あくまでも業務・利用の邪魔にならないように、そしていつも感謝の気持ちを持って撮影しています。

(写真・文章/住田至朗)