※2020年12月撮影

トップ画像は、和歌山線五条駅。隅田駅の撮影を終えて五条駅に到着したのは16時半。流石に冬の日は暮れていますが、宿に向かう前に駅の正面を撮っておきました。横長の木造駅舎は真正面からは全体が画角に収まらなかったのでトップ画像になりました。

実はこれが正解でした。翌日の朝は、雨が降って暗かったのです。

五条駅の木造駅舎は、出入口と待合室の部分が鉄筋コンクリートで増築されています。旧来の木造駅舎は瓦屋根の部分です。木造部分は1949年(昭和24年)の改築。

※2020年12月撮影

五条駅の歴史は少し複雑です。1896年(明治29年)南和鉄道が葛駅(現・吉野口駅)から二見駅(後の川端駅)までを開通させます。その時に五条駅が設置されました。1898年(明治31年)紀和鉄道が五条駅から橋本駅までを開業。五条駅は二社の境界になります。紀和鉄道は、南和鉄道の二見駅ではなく新たな二見駅(現・大和二見駅)を開業、南和鉄道は自社の二見駅と紀和鉄道二見駅間を貨物線にして旅客営業を廃止。南和鉄道の二見駅は川端駅に改称されました。

1904年(明治37年)関西鉄道が紀和鉄道と南和鉄道を買収します。五条駅は関西鉄道単独の駅になりました。1907年(明治40年)鉄道国有化法で関西鉄道は国有化。1909年(明治42年)線路名称制定で和歌山線になります。1980年(昭和55年)王寺駅から五条駅までが電化。1984年(昭和59年)には五条駅から和歌山駅までも電化され和歌山線は全線電化になりました。

1987年(昭和62年)国鉄分割民営化で和歌山線はJR西日本に承継されます。

明けて12月28日の朝、7時ですが雨で朝とは思えない暗さでした。

※2020年12月撮影

駅出入口。どこまでがオリジナルの木造駅舎で、どこからが増築された鉄筋コンクリートなのか分かり難いです。左の待合室は鉄筋コンクリート造、改札口の部分は木造駅舎と思われます。

※2020年12月撮影

駅前の眺め。昨夜の旅館は徒歩数分、すぐ近くでした。部屋は暖かくて快適でしたが広い旅館の廊下を夜中にトイレに行くのがすごく寒くて難儀しました。宿泊客は、筆者一人でしたから当然朝食は無く素泊まり。でも駅までの間にコンビニエンスストアはありません。

※2020年12月撮影

ラッキーなコトに待合室に「柿の葉すし本舗たなか」の売店が営業していました。実は「柿の葉すし」は子供の頃からの好物です。これで朝食は大満足。

※2020年12月撮影

でも何故五条に売店が? と思って販売していた方に訊いたら「柿の葉すし」に使われる「柿の葉」が五條産なのだそうです。隅田駅のイラストにも柿が特産と描かれていたのを思い出しました。

※鉄道の撮影は鉄道会社、鉄道利用者、関係者などのご厚意で撮らせていただいています。撮影は何よりも安全が最優先。あくまでも業務・利用の邪魔にならないように、そしていつも感謝の気持ちを持って撮影しています。

(写真・文章/住田至朗)