京急発祥の地、川崎大師。

いまこそ、京急といえば京浜間を東海道線と並走し、猛烈な走りをみせる民鉄としてファンを魅了する電鉄のイメージだけど、そのルーツは京急川崎から海側へと線路をのばす、大師線にある。

京急大師線 川崎大師駅前には、「発祥之地」と刻まれた車輪のモニュメントがあり、その説明文はこう始まる。

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「京浜急行電鉄株式会社は、明治31年2月25日大師電氣鐡道株式会社として設立され、翌明治32年1月21日、川崎六郷橋~川崎大師間の営業を開始した」

そんな歴史深い大師線の、「ひとつ先の駅」から、川崎大師裏手から入るかっこうで歩いてみると、そこには“ニッポンのまっとうな町並み”があることに気づく。

そば屋、銭湯、とうふ屋…そしてくず餅

そして川崎大師といえば、久寿餅(くずもち)。幸せを運ぶといわれる、黄色い手提げ袋を手にした参拝客とすれ違い、仕事中のこちらは住吉屋総本店でお抹茶を注文して時間調整。

横浜や川崎とは違ったリズムの時間が流れる川崎大師界隈。お抹茶が運ばれてくるまで、京急歴史館の史実を……。

1899年(明治32年)1月21日、晴れ。
午前10時、1両の電車が満員の乗客を乗せて六郷橋から大師へ向けて走った。
それが私たちの歴史の始まりだった。

その日は川崎大師(平間寺)の縁日に当たり、参詣を兼ねて関東で初めて、日本で3番目という営業用電車が走るのを一目見ようと、多数の見物人が押し寄せた。
沿線の安全確保のために、川崎警察分署は数十人の巡査を派遣して、その整理に当たった。

資本金9万8000円、立川勇次郎を代表者とし、所有車両5両、営業路線は約2kmの単線、職員は事務部4人、運転部8人、機械部4人、路線部1人の計17人で開業したのが、現在の京浜急行電鉄の前身、大師電気鉄道であった。

開業後、名称を京浜電気鉄道と改め、京浜間全通という大きな目標に向かって歩み始めた。

(引用元:創業期 京急歴史館 京浜急行電鉄)

―――お抹茶、おいしくいただきました。仕事戻るか。

画像:鉄道チャンネル
記事:鉄道チャンネル(https://tetsudo-ch.com/