※2022年6月撮影

トップ画像は、境内にあった「天御中主神社(あめのみなかぬしじんじゃ)」の説明板。

内容は以下です。

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御祭神 天御中主神

〈中略〉

創建  寛永3年(1626)11月15日

この神社はもともと、妙見菩薩を祭っていました。妙見菩薩は、北極星を神格化したもので、千葉県北部に勢力を伸ばした千葉氏が信仰した氏神として知られています。

神社を含むこの一帯は、志津城跡と考えられ、中世には志津氏あるいは千葉氏系統の豪族の館があったとされています。現在の社殿は、寛永3年(1626)、付近の八幡神社と同じ年に創建されたと伝えられます。明治時代の神仏分離令により、妙見菩薩と同一とされた天御中主神に祭神が改められました。

現在でも地元では「妙見さま」と呼ばれて親しまれ、昭和50年代までは、境内で盆踊りが行われていました。〈中略〉この神社は、長い歴史の息吹を感じることができる貴重な文化遺産です。

※当社は、平成24年12月に佐倉市市民文化資産に選定されました。 氏子総代

とても興味深い内容でした。表記されている地図の八幡神社にも行きたくなりました。

天御中主神さまにご挨拶します。

※2022年6月撮影

社殿の左には天満宮。散々仇役の時平神社に詣ったので・・・。(笑)

※2022年6月撮影

天満宮の奥に「蠶神」、蚕の神様です。側面に明治42年(1907年)と刻まれていました。明治維新以来、主力輸出品として絹製品が国策として振興され養蚕は農家の経営を支えました。蚕の繭から糸を取る際に熱湯を通すので蚕は死んでしまいます。その供養のために建立されたものです。

※2022年6月撮影

社殿右側の階段を上がると小さな祠がありました。中を覗くと「疱瘡大権現」と刻まれています。側面には大正7年(1919年)の文字。疱瘡=天然痘は、1980年にWHOが根絶宣言を出すまで、多くの死者を出し恐れられた疫病です。

※2022年6月撮影

階段下にも疱瘡神供養塔があります。新しいので再建されたものでしょうか。右は大山講の碑。丹沢山地の大山は、別名「雨降山」とも言われ「雨乞い」「農業の神」として信仰されました。筆者は古典落語「大山詣り」を思い出しました。

※2022年6月撮影

境内には佐倉市の保存樹、樹齢推定600年のケヤキ・アカガシ・スダジイ。(佐倉市の看板のままです)

※2022年6月撮影

では八幡神社に向かいます。

※2022年6月撮影

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。