※2024年2月撮影

トップ画像は「駒場野公園」、「ケルネル田圃」の南側に、何かの碑がありました。

「水田の碑 駒場農学校の跡地 近代農学研究 農業教育発祥の地」という石碑です。

※2024年2月撮影

明治の文明開化。日本は急速な産業革命を押し進め工業立国になった様なイメージを抱いてしまいますが、当時国民の大多数は農業に従事していました。農業の近代化が何よりも急務だったのですね。

貼られた金属板には以下の様に刻まれていました。

「この水田は 明治11年 ここ駒場野に開校した農学校の一部でわが国最初の試験田 実習田として 近代日本の発展を支える淵源の一をなした

農学校は いくたびか 学制の変更により 名称を変えて その歴史を継ぐ学校が この地で発展を重ねた

その間この水田は 近代農学研究発祥の地にふさわしい沿革をたどり 国際的協力のもとに初めて 本邦近代農業の研究と教育とが進められ 幾多人材の輩出を見た

本校は 東京農業教育専門学校附属中学校として 昭和21年 開校以来 右の歴史の流れを継いで この水田を教育の場に活用する栄光に恵まれ 耕作を続けて 本年創立40周年を迎えた

そもそも 農は 人類生存の基をなす営みである 本校は この水田のもつ歴史的意味に想いを致し 幾多先輩の偉業を想起しつつ これを永く後世に伝えたいと考え ゆかりある方々の翕然たる協力を得て ここにこの碑を建立する

なお 建立に際し 地元目黒区の理解と協力のあったことを録して 間社の意を表する

昭和62年10月 筑波大学附属駒場中高等学校」

筆者の世代的には、1978年(昭和53年)まで「教駒」(教育大附属駒場)と呼ばれていた学校です。クラスメートが進学した国立で唯一の男子校で「すげえ」と噂になってました。(笑)

1987年、37年前に建立された碑ですが、翕然(きゅうぜん)なんて筆者もほとんど見たことの無い様な言葉が出てきて少々慌てました。(笑)

気を取り直して東の方も散歩します。

※2024年2月撮影

・・・といつまでも「駒場野公園」に居るワケにもいきません。再び「井の頭線」の北側に戻ります。

※2024年2月撮影

「井の頭線」北側の「駒場通り」を西に50メートルほど歩きます。

※2024年2月撮影

右折して北にむかう道の角に案内板があります。

※2024年2月撮影

「駒場公園」南門までは130メートル。

※2024年2月撮影

ここが「駒場公園」南門の入口。

※2024年2月撮影

「重要文化財 旧前田家本邸(駒場公園)」の案内があります。

※2024年2月撮影

ここが「駒場公園」南門。9:00~16:30と開園時間がきめられています。

※2024年2月撮影

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)