※2022年6月撮影

トップ画像は、志津駅南口から歩いて600mちょっと、千葉県道155号線の交差点の向こうに立っている火の見櫓。鐘も下がっていて完全な形を保っています。

交差点の手前、右側に上志津石塔群があります。11塔が列んでいました。左側の3塔です。

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※2022年6月撮影

左は「二十三夜大勢至菩薩」「享和元年酉」(1801年)の文字が読めます。中央も正面は「二十三夜徳大勢至菩薩」。左側面に「嘉永六年」(1853年)と刻まれていました。

調べて見ると、二十三夜は、月齢から午前0時頃に幻想的な「下弦の月」が出ます。月は勢至菩薩の化身であると信じられていて二十三夜講の本尊です。勢至菩薩は、智慧の光で一切を照らし、全ての苦しみを解き、衆生に限りない力を与える菩薩。

右は庚申塔。青面金剛が邪鬼を踏みつけています。その下に三猿。左側面に「嘉永六年」(1853年)、偶然なのか中央の二十三夜塔と同じ年の建立。

その右に馬頭観音が8塔列んでいました。

※2022年6月撮影

左の大きな馬頭観音、正面上部に馬頭があります。側面に「大正二年」とあり台座には「運送連」。この時代の運送は、馬が動力でした。

その右、馬頭観音像が彫られているものは、側面に「明和三戌天」(1766年)で、この中で最も古い馬頭観音と思われます。

余談ですが、明和年間に全国でオーロラが観測されています。時代が異なりますが、面白いのは、筆者の好きな平安末期の歌人藤原定家が日記「明月記」にオーロラらしき現象を書いているのに、同時代のリアリスト鴨長明が方丈記に何も書いていないことです。

逆に、手前右から2つ目の小さな白い馬頭観音には、昭和二十年と彫られていました。1945年です。太平洋戦争終戦の年に建立された最も新しいものと思われます。まだ日常的に馬を使っていたのでしょう。

石塔群に見入っていましたが、夕刻が迫っているので目的の「天御中主神社と志津城跡」に来ました。鬱蒼とした木々に囲まれています。志津駅からは1km弱でした。

※2022年6月撮影

鳥居をくぐり階段を上ると境内が広がっています。

※2022年6月撮影

石塔群に見とれて長くなったので「天御中主神社」は次回に続けます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京成電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。