※2023年5月撮影

トップ画像、京王線明大前駅から甲州街道に向かっています。

甲州街道を渡る歩道橋から新宿方面。右が明大前駅になります。

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※2023年5月撮影

甲州街道の北側には駅名になっている明治大学和泉キャンパス。

※2023年5月撮影

大学の門の西側に杉並区教育委員会の「塩硝蔵地跡」の案内があります。

※2023年5月撮影

案内の内容です。

「塩硝蔵(えんしょうぐら)地跡

現在、明治大学和泉校舎および本願寺派築地別院和田堀廟所となっているこの付近は、江戸幕府の塩硝蔵(鉄砲弾薬等の貯蔵庫)として使用された跡です。

当初は、多摩郡上石原宿(現調布市)にあったと伝えられ、宝暦年中(1750年代)に「和泉新田御塩硝蔵」としてこの地に設置され、敷地はおよそ1万896坪(約6万2000平方メートル)あり、御蔵地(貯蔵庫)は、5棟・2町2反9畝5歩(約2万3000平方メートル)の規模であったといわれます。

当時、塩硝蔵は、御鉄砲玉薬方同心3人が年番で交替居住し、警備や雑用には付近の16ヶ村に対して、昼夜交替で3人づつの課役が徴せられました。

明治維新の際、塩硝蔵は官軍に接収され、その弾薬は上野彰義隊や奥州諸般の平定に使用され、その威力を発揮したといわれます。

その後当地は、兵部省を経て、陸軍省和泉新田火薬庫として再開され、中に当番官舎、衛兵所等が設けられ、麻布の歩兵連隊が警備を任されておりましたが、大正の末期に廃止されました。

明治の末頃までの火薬庫周辺は、雑木林や欅が生い茂り、鬱蒼とした森となっていて、多くの狐や狸が棲息し、余談に人を化かした話なども伝えられています。

昭和59年3月 杉並区教育委員会」

笹塚駅に続いてこの地でも狐や狸が人を化かした様です。(笑)

また、個人的には「塩硝蔵」は「煙硝蔵」だと思うのですが・・・。

大学の門の右(東)側は、玉川上水の跡が公園になっています。

※2023年5月撮影

そこに「明大橋跡」という碑がありました。

※2023年5月撮影

明治大学がこの地に移ってきたのが1934年(昭和9年)でしたから、その頃、玉川上水を渡る橋があったのでしょうか。

明治大学の前から甲州街道を東に歩いて井の頭線を渡ります。吉祥寺方面に玉川上水の水道橋が見えます。

※2023年5月撮影

1934年(昭和9年)に現在の井の頭線を開業したのは、帝都電鉄でした(※井の頭公園までは1933年に開業)。この会社は以前東京山手急行電鉄という名称で、複雑な歴史は省きますが、もともと旧国鉄山手線の外側にもう一周環状線を敷く計画を持った会社でした。明大前駅がその環状線(未成線)と現在の井の頭線の接続駅と計画されていたため、井の頭線の玉川上水の水道橋の下には複々線分のスペースが確保されています。

※2023年5月撮影

井の頭線を越えて60mほど歩き、北に路地を入ると和泉村庚申塔があります。

※2023年5月撮影

1m以上ある庚申塔は、半分赤い布で覆われています。辛うじて青面金剛像は分かりますが下部は見えません。摩耗が激しいのでそれなりに古いものであると思われます。

※2023年5月撮影

明大前駅の散歩は続きます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)