「大宅壮一文庫」に来ました【駅ぶら】06京王電鉄 京王線049
※2023年5月撮影
トップ画像、八幡山駅から赤堤通りを南に歩いています。左(東)側は、駅前から都立松沢病院の敷地が続いています。何しろ6万坪という、ちょっと想像を絶する広さなのです。
ほよ? 不思議なお地蔵さんがあるなぁ、と思ったら「真言宗国分寺派 宝王山薬師寺」という表札です。一軒家の佇まいですが、お寺でした。
※2023年5月撮影
都立松沢病院の正門。メディアの取材チームがいます。何か事件かな?
※2023年5月撮影
ようやく「大宅壮一文庫」が見えました。八幡山駅からは800mほどです。
※2023年5月撮影
こちらが入口。
※2023年5月撮影
「大宅壮一文庫」の説明看板。
※2023年5月撮影
その主な内容です。
「戦後のマスコミ界を明快な社会・人物評論でリードした大宅壮一(1900~1970)の収集雑誌類を引き継ぎ、1971年、居宅跡のこの地に設立しました。明治期から現代までの膨大な雑誌を所蔵する日本で唯一の雑誌専門図書館です。
「大宅式分類法」と言われる独自の雑誌記事索引データベースを作成しており、主な所蔵雑誌の記事を検索、閲覧できるほか、原本の複写サービスも行っています。」
筆者の世代にとって大宅壮一さんと言えば「ビッグ・ネーム」です。しかし生まれた時からのデジタル化の進んだ世界で「スマホを片手に育ってきた」若い方々に「雑誌の時代」が想像できるのでしょうか・・・。書店が町から日々消えてゆき、長命な雑誌の休刊が記事になる時代なのです。
「大宅壮一文庫」にお邪魔します。半世紀以上が経っているのですね。
※2023年5月撮影
アナログな雑誌の専門図書館ですが、パソコンが並んでいます。膨大なデータを検索するのにパソコンは必須ですね。
※2023年5月撮影
「大宅壮一文庫」の外観です。
※2023年5月撮影
「大宅壮一文庫」から西に入り赤堤通りと並行する道を南に歩きます。
※2023年5月撮影
次回は、八幡山という地名の元になったと伝わる神社に行きます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)