芦花公園の思い出でしょうか【駅ぶら】06京王電鉄 京王線057
※2023年5月撮影
トップ画像は、蘆花恒春園、公園部分を含む全体案内図です。
既に書きましたが、筆者は、1997年(平成9年)千歳烏山駅近くの賃貸マンションに転居して、2007年(平成19年)まで生活していました。そこで4歳の息子を14歳まで育てました。当時息子を連れて芦花公園に頻繁に遊びに来ていたのです。
1998年(平成10年)5歳の息子が芦花公園のアスレチック広場で遊んでいる写真。現在、息子は30歳、ドクターやってます。(笑)
※1998年7月撮影
2023年(令和5年)に戻って、公園を歩いています。
※2023年5月撮影
とにかく広いのです。何と全体で1万8千坪・・・・。三畳三間の家に住んでいた内田百閒先生が阿房列車で出掛けた時に無闇に広い旅館の部屋に泊められて「広くても自分が膨れられるワケではない」とふくれていたコトを思い出して笑ってしまいました。筆者の住む三浦半島の陋屋もとにかく狭い!(笑)
※2023年5月撮影
「芦花公園自然観察資料館『やごの学校』」です。2006年(平成18年)に完成しているので、筆者が子供を連れて頻繁に遊びに来ていた頃には無かったと思います。トンボがここの池から巣立って行くのは素晴らしい光景です。
※2023年5月撮影
さらに南の方に向かいましたが、ちょっと足首を捻って軽い捻挫状態。流石に爺なので無理は禁物。南のアスレチック広場に行くのは諦めて北に戻ります。
※2023年5月撮影
粕谷区民センター通りまで戻って、粕谷八幡神社に参拝します。右手前に「わかれの杉」があります。
※2023年5月撮影
「わかれの杉」は『みみずのたはこと』上巻p.81以下に書かれています。この部分もまた蘆花健次郎の奔放なのに抑制の効いた文章に筆者は感動します。是非一読をオススメします。
これが「わかれの杉」、岩波文庫上巻p.82に往時の元気な姿があります。是非ご覧ください。蘆花健次郎が自宅を訪れた友人などを見送った場所です。その見送りが永遠の別れになることもありました。
※2023年5月撮影
八幡宮、神様にご挨拶します。
※2023年5月撮影
ここからの写真は、2003年(平成15年)の散歩時に撮った写真です。調べましたが、場所がどうしても思い出せないのです。すみません、再訪できませんでした。
門前の左の木杭に「東京府北多磨郡千歳村粕谷百六番地 秋山喜左衛門」と刻まれています。
※2003年3月撮影
右の木杭には「徳冨蘆花 みみずのたわごと 興右衞門さんの家」と刻まれています。
※2003年3月撮影
ここで筆者は一寸悩みます。『みみずのたはこと』下巻p.32に「与右衞門さん」という文章があります。ちなみに「與」は「与」の旧字です。
「与右衞門さんは、村内切っての吾儘者(わがままもの)剛慾者(ごうよくもの)としてのけものにさるる男である。」同書下巻p.32 と、蘆花健次郎は、褒めていません。
「然(しか)し慾張り屋の与右衞門さんは、詐(うそ)を云わぬ、いかさまをせぬ。それから彼は作代に妻をもたせて一家を立ててやったり、義弟が脚部に負傷したりすると、荷車にのせて自身挽いて一里余の道を何十度も医者へ通ったり、よく縁者の面倒を見る。」同書下巻p.34
・・・と一方でその人格を高く評価しているのです。
どっちやねん!
・・・というか他人にはいくつもの面があることを蘆花健次郎は『みみずのたはこと』で繰り返し書いています。
蘆花健次郎、明治四十四年四月の日付の文章でした。
次回は、芦花公園駅北側のお寺に庚申塔を見にゆきます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)