飛田給薬師堂参拝【駅ぶら】06京王電鉄 京王線118
※2023年7月撮影
トップ画像は「飛田給薬師堂」。
飛田給駅の北、約5分ほどです。サッカーの熱狂からちょっと離れて、ひっそりと佇む薬師像にお参りします。
※2023年7月撮影
お堂の中に調布市指定有形民俗文化財(昭和49年7月12日指定)「飛田給石造瑠璃光薬師如来立像」が安置されています。
※2023年7月撮影
調布市教育委員会の案内の内容は以下です。
「この石仏は「飛田の原の石薬師」と言われ、庶民信仰の対象となっているものです。江戸時代初期、貞享(じょうきょう)年間(1684~87)に、元仙台藩士の松前意仙により造立されました。
松前意仙は、諸国を巡り歩いたのち、ここ飛田給を生涯の地と定めて庵を結びました。医業のかたわら、信仰する薬師如来の功徳をもって、人々を悟りの境地に導こうと、自らこの像を刻んで安置したと伝えられています。
像身は140cmの立像で、左手に薬壺をのせ、右手は施無畏印を結び、慈悲に満ちた表情をしています。背面には「施主為松前意仙行重二世安楽 貞享三丙寅四月十六日」の刻銘があります。
はじめは野外に置かれていましたが、弘化四年(1874)に仏堂が建てられ、堂内に安置されるようになりました。 平成24年11月30日 調布市教育委員会」
一隅に「行人塚」と手水舎があります。
※2023年7月撮影
「行人塚」
※2023年7月撮影
調布市のサイトによれば、
「この塚は、松前意仙の入定塚(にゅうじょうづか)です。意仙は元仙台藩士でしたが、出家して諸国をまわり、この地に庵を結びました。意仙は自ら石造の薬師如来像を彫り、大願成就の後、薬師像の傍に穴を掘り、中に入って、鉦をたたきながら、お経を唱えて、そのまま入定(死去)したと伝えられています。意仙の死後、村人たちによって、塚が築かれました。昭和47年、塚の改修の際に遺骨が確認され、もとどおりに埋葬されました。」
手水の背後に「庚申塔」が列んでいます。
※2023年7月撮影
じっくり拝見しました。残念なことに剥落が激しく「青面金剛像」「三猿」や「庚申塚」の文字は分かりますが、日付などは判読できません。左端は施主の名が、左から2つ目は「馬頭観世音」と刻まれていました。
※2023年7月撮影
「スタジアム通り」に戻って「味の素スタジアム」に向かいます。
※2023年6月撮影
何かキレイな色があると足下を見たら「消火栓」の蓋でした。
※2023年6月撮影
甲州街道まで来ました。大きな歩道橋に「味の素スタジアム」と表示されています。
※2023年6月撮影
次回は歩道橋に上がって「味の素スタジアム」を眺めます。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)