騰波ノ江に入線する取手行き普通列車。単行(1両編成)で、水海道~守谷などで一定の利用があります(筆者撮影)

経営環境の厳しい地方鉄道を多くのファンが支えることは、本サイトをご覧の皆さまならよくご存じでしょう。そのことは現役の路線はもちろん、廃止された鉄道でも変わりません。

茨城県の筑波鉄道と鹿島鉄道。ともに国鉄常磐線の幹から伸びる支線として地域社会や経済を支えましたが、筑波鉄道は1987年、平成の世に残った鹿島鉄道も2007年に廃止されました。両線に共通するのは、廃止後も活動する熱心なファンの存在です。

分社化前に両線を運行していた関東鉄道はファンのエールに応えようと2025年10月17、18の両日、常総線騰波ノ江駅のとばのえステーションギャラリーで「関東鉄道60周年記念『思い出の筑波鉄道・鹿島鉄道展』」を開催。大勢のファンが会場を訪れて、在りし日の両線に思いをはせました。

常磐線から多くの支線が伸びた茨城の鉄道

茨城の鉄道略史。幹に当たる常磐線は、私鉄の日本鉄道の手で1896年までに田端~水戸が開業しました。初期は、福島県の常磐炭田の石炭輸送が主な目的でした。

常磐線の支線に当たる私鉄群は東京側から関鉄常総線、同竜ヶ崎線、筑波鉄道筑波線、鹿島鉄道鉾田線、茨城交通茨城線、同湊線(現・ひたちなか海浜鉄道)、日立電鉄(線)と多数ありました。しかし、マイカーに押され関鉄2路線と湊線を除き廃止されました。

筑波山観光の足(筑波鉄道)

今回、展示会が開かれた筑波鉄道は、土浦~岩瀬40.1キロ。常磐線と水戸線の国鉄2路線を短絡する鉄道で、1918年に全通。1965年までに関東鉄道になりましたが、経営悪化で1979年に再度分社化され、2代目の筑波鉄道になりました。

筑波鉄道は関東の名峰・筑波山へのアクセス鉄道でしたが、マイカーに勝てず衰退。国鉄改革前日の1987年3月31日に最終運行、翌4月1日付で廃止されました。

鹿島神宮への参詣アクセス(鹿島鉄道)

もう一つの鹿島鉄道。開業時の社名・鹿島参宮鉄道が目的を表します。1929年までに石岡~鉾田間27.2キロを開通させましたが、社名の「鹿島」を走ることはありませんでした(ただし当時の鉾田は鹿島郡でした)。

会社は1965年、常総筑波鉄道と合併して関東鉄道鉾田線に。1979年に筑波鉄道と同じく分社化され、新生・鹿島鉄道が誕生しました。しかし経営は厳しく、2007年3月31日が最終運行日になりました。

関鉄とファン3団体が共催

関鉄は、3社統合の1965年が創業年。そこから数えて2025年は60周年。記念展は関鉄と鹿島鉄道保存会、鉾田駅保存会、関鉄レールファンCLUBの3団体が共催しました。

ご記憶の方もいらっしゃるでしょうが、鹿島鉄道は存続か廃止かが社会的関心を集め、最終的に鉄道は残せなかったものの、存続運動を引き継ぐ形で今も保存会が活動。複数車両が沿線で保存されます。

小美玉市の小川南病院で保存される鹿島鉄道のキハ432(筆者撮影)

筑波鉄道は保存車両はありませんが、現在もヘッドマークや駅名標などの〝鉄道遺産〟が栄光の歴史を伝えます。

関鉄レールファンCLUBは関鉄応援団で、沿線イベントの主催や応援で鉄道の利用促進に努めます。

関鉄と関係3団体が力をあわせた記念展、鉄道グッズ類が来場者を歓迎するとともに、走行シーンを記録したビデオを放映。手づくりの鉄道模型がジオラマを走行。ファンを筑波鉄道や鹿島鉄道の現役時代に誘いました。

筑波鉄道の駅名票と「急行」表示など。いかにも手作り感があふれます(筆者撮影)
鉄道の在りし日をよみがえらせる鉄道模型の車両とジオラマ。車両は実物の80分の1サイズのHOゲージ、ジオラマは150分の1サイズのNゲージです(筆者撮影)

富山や北海道からやってきた車両も

両線の車両についてもワンポイント。筑波鉄道の代表車両は1959年に新製されたキハ500形。関鉄にも同形車がありましたが、筑波鉄道では一部空気バネ台車をはいた車両もありました。

筑波山をバックに走るキハ500形気動車。筑波山は二峰ということが分かります(写真:関東鉄道)

鹿島鉄道は、国鉄の旧形気動車の改造車から譲受車まで多種多彩。1960年代以降、全国で地方鉄道の縮小や廃線が相次ぎ、富山県の加越能鉄道や北海道の夕張鉄道、三井芦別鉄道から茨城入りした車両もありました。

山容を刻々変える筑波山の絶景

会場で熱心に展示品を見ていた50歳代のファン。現在は東京在住ですが、かつては土浦に住んでいました。

筑波鉄道への乗車経験多数。筑波鉄道の観光列車と聞いてコアなファンが思い浮かべる臨時列車「筑波」(「つくばね」の記録も)。春秋の観光シーズン、国鉄の上野から筑波に直通運転した客車列車です。上野や土浦からの乗車経験があるそうです。列車は国鉄12系客車5~6両編成。土浦で機関車を付け替え。全区間を2時間半ほどで結びました。

急行「つくばね」のヘッドマークは手書き。最終日の謝恩ヘッドマークも展示されました(筆者撮影)

筑波鉄道の魅力は、進行に連れて移り変わる車窓の景観。一つの山のように語られる筑波山、実は男体山(871メートル)と女体山(877メートル)の二峰が並び、さまざまな表情をみせます。

鹿島鉄道は霞ケ浦湖畔を走る区間が絶景。かつての鉄道趣味誌では、東京からも近い撮影ポイントとして紹介されました。

「ファンに喜ばれる企画を」(渡邊鉄道部長)

関鉄の渡邊敬史鉄道部長に聞きました。

「昨今、地方鉄道の経営環境は厳しさを増しますが、関鉄はさまざまな創意工夫してお客さまに喜んでいただける企画を打ち出しています。直近は、2025年11月23日にグループの関鉄観光バスが主催するツアー『鹿島鉄道保存車輌見学と廃線巡りの旅』。今後も鉄道ファンはもちろん、ファミリーに喜ばれるアイディアで関鉄の存在感を高めたい」と思いを語ってくれました。

サイクリングロードやBRT専用道に再生

最後に筑波鉄道と鹿島鉄道の現在。筑波鉄道の線路敷きの一部はつくば市が「つくば霞ケ浦りんりんロード」に整備。サイクリストの聖地として親しまれます。

鹿島鉄道の線路敷きも、起点だった石岡(JR常磐線からの乗換駅)付近はBRT(バス高速輸送システム)専用道になって茨城空港などに向かうバスが走行します。

最近、新潟交通電車線の取材でも感じたことですが、廃止から10年以上経過してもなおファンに愛され、夢を届ける鉄道路線。鉄道の存在価値ということを強く意識させられました。

筑波鉄道の線路敷きから霞ケ浦を周回する「つくば霞ケ関りんりんロード」。総延長約180キロに及びます(写真:茨城県つくば市)
鹿島鉄道の線路敷きでJR石岡駅付近約5.1キロはBRT専用道路に整備され2010年8月に開通しました(筆者撮影)

記事:上里夏生