※2025年10月撮影

トップ画像は、大宮神社拝殿の手前。左側に祠が列んでいます。左から「子権現宮」、とても小さな「御嶽神社」狐様が彫られた「弓箭(きゅうせん?)稲荷神社」、大きな「金昆(ママ)羅大権現」、右端は、確認できませんでした。

右に社殿が見えます。不明の祠、と右に石碑。

※2025年10月撮影

石碑の奥に拝殿にむかって祠が列んでいますが、左の「伊勢参拝記念碑」を除いて、解読できたのは右から2つ目の「摩利支天」だけです。

※2025年10月撮影

「摩利支天」が「武(武士)の神様」ということは知っていましたが。

平和台大宮神社、本殿。昭和40年(1965年)に新築された覆屋です。

※2025年10月撮影

本殿北側の境内社。

※2025年10月撮影

八幡神社の木札。

※2025年10月撮影

記載内容は以下です。

「八幡神社

祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)

由来

建立創建は建長年間(西暦1249-56)と思われるが詳らかでない。

この神の父は仲哀天皇 母は神功皇后 御子神は仁徳天皇である。

はじめて大陸の文化を導入して 日本の交流を図られた。大昔より学問文化育児の神として 加村の若宮にお祀りしてあったが明治42年当境内に合祀される。

昭和40年この社殿を再建新築する。」

合祀された明治42年は、1909年。社殿が再建された昭和40年は、1965年です。

さらに奥に鳥居とお社。

※2025年10月撮影

朱い社、お稲荷様です。

※2025年10月撮影

鳥居の左脇に「明治34年9月 正一位稲荷神社」「明治34年9月9日 稲荷神社」の石碑。

※2025年10月撮影

右脇には「疱瘡神」と剥落で分からない石塔、石塔側面に明治34年の日付が読み取れました。

※2025年10月撮影

境内社、最大の「大杉神社」。

※2025年10月撮影

木札があります。

※2025年10月撮影

記載は以下です。

「大杉神社

祭神 大物主命おおものぬしのみこと(大国主命)

由来

建立創建は江戸時代の中ころ(1730年頃)と推定される

当時下総地方にも各地区に開運と疫病消除の神として夏季の27日に各戸を廻る神幸祭が盛大に行われた

当神社もそのころ氏子により この境内地に祀られたことと思われる

昭和54年に神輿と覆屋の再建をおこない今日におよぶ」

昭和54年は、1979年。ほぼ半世紀前です。

社殿の北側から裏に出ることができます。

※2025年10月撮影 

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などはつくばエクスプレス(首都圏新都市鉄道株式会社)の許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

首都圏新都市鉄道株式会社 会社要覧2024

るるぶ情報板関東31 つくばエクスプレス JTBパブリシング 2025年5月1日

つくばエクスプレス沿線アルバム 生田誠 山田亮 アルファベータブックス 2023年8月5日

つくばスタイル No.12 枻出版 2011年4月10日

つくばエクスプレス 最強のまちづくり 塚本一也 創英社 2014年10月23日 他

流山市の庚申塔については 流山市立博物館調査研究報告書『流山庚申塔探訪』流山市教育委員会発行を参照しています

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