高尾駅を出るとすぐに江浪トンネル(572m)に入ります。

根尾川の支流を渡って

またすぐに水鳥トンネルです。

ADVERTISEMENT

急に広々と開けた場所に出ると水鳥(みどり)駅です。この地区は1891年(明治24年)に起きたマグニチュード8.0という濃尾地震の震源地で、駅がカーブしているのも特別天然記念物である根尾谷断層(地表地震断層)を避けるためなのだそうです。

水鳥駅のホームは1991年に臨時列車の乗り入れに対応するために25mから110mに延長されたために1両の樽見線列車が停車するには不必要に長くなっています。

ホームにはこんな看板がありました。樽見駅方に進み根尾川を渡る県道255号線には「開運橋」が架かっています。

水鳥駅を出て最後の第十根尾川橋梁を渡ります。

板所トンネルに入って

トンネルを抜けると終点の樽見駅です。

大垣から69分かかって到着です。

終端部です。1922年(大正11年)鉄道敷設法別表の「大垣ヨリ福井県大野ヲ経テ金沢ニ至ル鉄道」とあった様にこの先、越美北線の越前大野駅まで線路が繋げられる予定だったのです。ローカル閑散路線が大好きなのでちょっと乗ってみたいとは思いますが、地図を見ると、国道157号線に沿ったとしても、さらに人口の希薄な山間部を通るのですから鉄道を敷設しても利用者がほとんど居なかったでしょうね。

ここまで乗ってきたハイモ295ー516。

駅から出ると綺麗な駅舎があります。2007年(平成19年)不審火で焼失した駅舎が2008年に再建されたものです。

駅名標とホームに停まる車両が収まります。周囲は山です。

駅前広場駅に全線開通記念碑がありました。

銅像は宮脇留之助翁、樽見に生まれ私財を全て投げ出し自らは貧窮に苦しみながらも地元の発展に尽力したと記されています。樽見鉄道が敷かれたのも元々はこの宮脇氏の運動から始まったそうです。しかし宮脇氏は1943年(昭和18年)に亡くなられたということですから樽見線が1935年(昭和10年)に着手されたことは知っておられたでしょうが、部分開業したのが1956年(昭和31年)、全通は1989年です。

約20分後乗って来た車両がそのまま折り返し大垣行になります。復路では往路で撮れなかった写真を紹介します。
【私鉄に乗ろう 09】樽見鉄道 その6 復路 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)