紙の編集という現場から離れて、もうかれこれ6〜7年ということし。2か月前、私鉄会社の社史の全編集を担うことに。そこであらためて気づかされたことのひとつに、画の傾きがある。

紙面編集から離れる前から、1眼レフカメラなども持たなくなり、当時のことばでいうと「断捨離」をまねるかたちでいろいろやめた。カメラもリサイクルショップで売っていた1000円の名刺サイズのものにした。

そんな調子だから、「キレイな画の世界」からも落ちこぼれた。たまに、東京などへ出張したさい、通りがかりに大型家電店などにフラッと立ち寄っても、カメラフロアは素通りし、フードミキサーやオーブン、洗濯機といった白物を冷やかす程度……。

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そんな情けない日々に突如、社史編集という作業が再びおとずれると、あらためて気づかされることがある。ネット時代だからか、クライアントから集まってくる画像が紙面耐用サイズに達していないことが多いうえに、鉄道写真の画の傾きが気になったりも。

たとえば冒頭の写真。見る人にとっては、「傾きが気になる」という人もいれば、「そういわれないとなにも感じない」という人もいる。

半世紀も前の紙焼き写真から現在まで膨大な量があり、しかも撮影者が他界しているとか、幹部らがシレッと撮ったスナップだとか、編成最後部が切れているとか、パンタグラフが切れているとか、いろいろある。無断で加工もできないし、納期もある。

で、編成写真の傾き。冒頭の写真の傾き(水平レベル)をあわせるように回転させると、こんどは電車の先頭部分の顔が切れてしまう。

こんなとき、SNSなどでたずねてみたいけどやってないし、人脈ゼロだし時間もないし。

そこで、ロケバスや会議室、スタジオでいっしょになった人に、突然「あのーちょっといいっすか」と聞いてみると、意外とみんな同じことばが返ってきた。彼らはみんな、鉄道写真などに無縁の人たち。

「当事者たちが撮った写真でしょ。それはそれで、いろいろな瞬間がある。編集が気になる傾きは、編集だけが気になるもので、それぞれの現場の興奮、うれしさ、楽しさ、焦り、一瞬が、その傾きひとつにも出てるわけだから」

むかしの紙面編集のフローを思い出し、身構えていたのか。こうして彼らのことばを聞けて、少し力みがとれたか。

いまは、傾きの向こうにどんな緊張があったのか、楽しさやうれしさがあったのか……それを想像する楽しみも、増えた気がする。

台風が接近中の10月22日、早朝からぐるぐる走るロケバスのなか。鉄道や交通といった仕事とまったく関係ない現場で、記してみた。