快晴の11月27日(月)10:30 東京メトロ中野車両基地

1957年(昭和32年)丸ノ内線新宿駅開業に合わせて500形車両は歴史に登場しました。爾来1996年(平成8年)に引退するまで約40年間丸ノ内線の顔として活躍しました。引退後、偶然軌間や集電方式(第三軌条)などが共通するアルゼンチンのブエノスアイレス市地下鉄に131両が譲渡され、遥か地球の反対側で地下鉄車両として第二の人生を送っていたのです。しかし500形も製造から60年近くが経ち第二の故郷ブエノスアイレス市地下鉄からも徐々に引退が始まりました。

一方、日本では地下鉄車両の電子化が進み、構造も複雑化しています。若手の基本的な技術伝承と車両保守教育に繫がり、何よりも鉄道技術の発展に貢献した価値のある丸ノ内線500形車両を保存する方針が2015年(平成27年)に決定されました。そして2016年7月に再び故郷の地に4両が帰還したのです。

まずは、関係者による除幕式が行われました。

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この瞬間を固唾を吞んで待ち受けていました。

実際にブエノスアイレス市地下鉄から戻った車両はかなり傷んだ状態でした。このボロボロの状態から、車両部各職場の若いスタッフが選ばれて復元プロジェクトチームが組まれ、現役時代を知るベテランの指導下で1年以上かかって現在の1次補修(実際に動くコトはまだ出来ませんが車両外観・内観その他の補修はほぼ完了)の状態にまでこぎつけました。この作業に当たったプロジェクトメンバーと留岡常務。

この後、写真左から増澤中野車両管理所技術課長、留岡常務、復元プロジェクトメンバーの才口氏の三人が、車両を日本に戻す時の裏話や復元作業の苦労など実際に携わった関係者だけが知るとっておきの話をトークショーで聞くことができました。

その後、車内が公開されました。初期型の584号車は戸袋部分にだけ網棚があります。特徴的な吊手はリコ式ですが、バネの入った最初の状態に戻せるか検討中とのことでした。

584号車の路線案内、西新宿駅がありません。まだ、無かったのですね。

ブエノスアイレス市地下鉄での状態を復元している771号車には彼の地の路線案内、どこかしら丸ノ内線っぽい感じですね。

同じく771号車にはブエノスアイレス市地下鉄時代のシールなどがそのまま残されています。残念ながら記者はスペイン語を解しませんがイタリア語・フランス語と同様にラテン語が現地語化したものですからうっすらと想像が付かないでもないです。

路線図とシルバーシートの表示です。

車両撮影の後は、写真左から増澤中野車両管理所技術課長、留岡常務の記者会見。留岡常務は走れる様になったらイベントなどで活用したいと完全な復元への強い意気込みを語っていました。素晴らしい!

もちろんわれらが鉄道チャンネルMCの柏原美紀も動画で紹介を収録しました。

私事で恐縮ですが、記者はこの丸ノ内線が走り始めたタイミングに阿佐ヶ谷に住んでいました。小さな子どもでしたがおそらく584号車に乗って駅の手前で車内灯が消えることを何度も経験したかもしれません。印象としては車体色はもう少しくすんだ色調だった様な気もします。でも青空の下、綺麗な車両に陶然としました。子どもの頃は、せいぜい銀座のデパートに「日曜日のお出かけ」が丸ノ内線に乗る機会でしたから、明るい陽光の下で車両を見たことがないのです。