SLレトロみなかみ

筆者は蒸気機関車に対して情緒的な思い込みは全くありません。もちろん、敢えて蒸気機関車に乗りに行くということもしません。自分自身が成長した時代に実際に蒸気機関車に乗った経験が無いこと、そして何よりも旧国鉄が動力近代化計画でヒステリックなまでに蒸気機関車を敵視し、1976年までに全廃すると息巻いていたことを苦々しく思い出すからです。

旧国鉄が性急に廃止していく蒸気機関車を観光用に動態保存しようと考えたのは大井川鐵道副社長を務めた白井昭氏でした。しかし当時の国鉄はSL全否定に躍起で「動態保存は許しがたい時代錯誤」としてマトモな蒸気機関車の入手すら困難だったのです。

1976年(昭和51年)7月、大井川鐵道を蒸気機関車の牽引する急行「かわね路号」が走り始めました。この段階で、1955年(昭和30年)には4897両あった蒸気機関車は事実上姿を消していました。

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動力近代化計画で蒸気機関車を目の敵にしていた旧国鉄も1979年(昭和54年)には「手のひらを返す様に」SLやまぐち号の運転を始めたのです。

幾星霜。

蒸気機関車のことで思うのは、3月で廃止される三江線を含め、こちらも民営化の正義とばかりにJRは赤字ローカル線を廃止してきました。何度か書いていますが、赤字ローカル線こそ、地方の長閑な生活を維持するための、また未来に残す明治以降の偉大な近代化の資産です。

旧国鉄が性急に排除した蒸気機関車が、新たな価値を産み出す資産として今の時代に迎え入れられていることを考えても分かると思います。性急に赤字ローカル線を廃止し、いわんや廃止された輪島駅〜穴水駅間の鉄道施設の様に「二度と復活されては困る」とばかりに慌てて撤去する様な態度には疑問を覚えます。

片やA.I.などの進歩によって人間の実労働領域は減り続けるでしょう。人生とは「有限な時間」のことです。増えてゆく余暇をノンビリとローカル線に乗って旅する程、時間の贅沢な使い方はありません。異様に高額な観光列車に乗って贅沢な飲食をする数少ない機会よりも、リーズナブルに長閑なローカル線に揺られて、手作りのお弁当を食べることが見直される時代は必ず来るでしょう。

一度廃止してしまった線区を復活させることは、維持することとは比較にならない膨大なエネルギーを要するのです。

(写真・記事/住田至朗)