時刻表をじっくり眺めたのは人生で初めてでした。2009年は既にインター・ネット全盛の時代ですからネット上には「最短最速時刻表案内」的なサービスがたくさんありました。その「電子的な経路・回答」を時刻表を使って検証し、かつ「自分好みの経路を新たに発見する」という孤独なゲームの始まりです。

分かり易い例で言えば、山陽本線で内田百鬼園先生は必ず海の光景を楽しむために”呉線”を廻って行くことにしていました。三原から広島まで山陽本線なら76分です。しかし呉線を廻って海辺の車窓を楽しむと倍以上の151分かかります。

ネット系経路案内は最短・最速が原則なので「車窓優先」なんて条件設定はできません。しかし、ハッキリ言って「用事は無いけど鉄道に乗りに行く」のですから、先を急ぐ必要は全くありません。

ADVERTISEMENT

そう言えば百閒先生、東海道本線の興津から東京に帰るに当たっても、

東京へ帰るのに逆に静岡まで行つて急行列車に乗らなくても、沼津まで引き返して、沼津でさうすればその方が道順である事は知つてゐるけれど、沼津からだと東京までが近過ぎて、急行列車に乗つてゐる間が短いから矢つ張り静岡まで行く。 旺文社文庫「第一阿房列車」 p.87

優等列車に長く乗りたいから、わざわざ興津から静岡まで戻って、そこから意気揚々と(と言ってもほとんど食堂車でお酒を飲んでいるダケですから一等車に席をとるコト自体が無意味!)「鹿児島仕立ての第三四列車一二三等急行」で東京に帰ったのです。

そうそう忘れてました。有名な『第一阿房列車』(内田百閒)の冒頭です。

阿房(あほう)と云ふのは、人の思はくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。用事がなければどこへも行つてはいけないと云ふわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪に行つて来ようと思ふ。用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。 同 p.7

帰りは帰ると云ふ用事があるのだから、三等で沢山であり、無駄遣ひは避けなければならない。行きは一等、帰りは三等、一栄一落これ春秋で大変結構な味がする。 同 p.19

これが百鬼園先生一流の「よく分からない理屈」です。そもそも「用事がないのに大阪に行く」ことは”無駄遣ひ”じゃないか、などと野暮は言いっこなしです。

筆者が鉄道趣味にハマってゆくには、この様な「ワケの分からない、でも何となく可笑しいコト」を優先する内田百閒先生という先達がいたことも大きいのです。

【50代から始めた鉄道趣味】その3 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)