スイッチ・バックするから前面展望と後方展望!【私鉄に乗ろう95】箱根登山鉄道 その1
※2016年9月撮影 モハ2形110は2017年2月に営業運転を終了しました
この「私鉄に乗ろう」の写真は、筆者がプライベートな鉄道旅で撮影したものです。鉄道会社さんから許可をいただいていませんので、乗車券などがあれば誰でも利用できる場所から、手持ちで撮影したスナップ写真です。ポケットに入るコンパクト・デジタルカメラ(SONY DSC-WX500)で撮影しています。特記のない限り2019年2月に撮影した写真です。
箱根登山鉄道は、関東で育った人なら子供時代からたいてい一度は乗ったことのある懐かしい電車です。新宿から小田急ロマンスカーに乗って箱根湯本駅で箱根登山鉄道に乗り換えて強羅を目指すのです。1969年(昭和44年)には彫刻の森美術館がオープンしています。
箱根登山鉄道の簡単な歴史
箱根登山鉄道には、長く複雑な歴史がありますが、煩雑になるので略述します。1889年(明治22年)に東海道本線新橋駅〜神戸駅間600.2kmが開業した時は、国府津から現在の御殿場線を経由して沼津に抜けるルートでした。
江戸時代から続く宿場町だった小田原は鉄道から取り残されたのです。1925年(大正14年)には国府津〜熱海間が開通しましたが、熱海〜沼津間は長大な丹那トンネル建設がネックとなり1934年(昭和9年)にようやく現在の東海道本線のルートが完成しました。その後、旧東海道本線御殿場ルートは御殿場線としてローカル線になってしまいます。
話を1889年(明治22年)以前に戻します。東海道本線から外れた小田原は国府津を起点として箱根町湯本に至る馬車鉄道敷設を神奈川県に請願。1888年(明治21年)には小田原馬車鉄道の営業が始まりました。1896年(明治29年)小田原電気鉄道に社名を変更、1900年(明治33年)には馬車鉄道は廃止、新たに電車が走り始めました。1910年(明治43年)には、スイスの登山鉄道を視察した人からの提案があって、箱根湯本から強羅に登山鉄道の敷設が決定します。しかし、この登山鉄道の建設が難工事だったのです。登山鉄道の工事は1919年(大正8年)にようやく終わり運行が開始されました。1921年(大正10年)には、スイス製の軌条、車両、巻き上げ装置を使って鋼索線(ケーブルカー)も開業しました。
その後、箱根登山鉄道は関東大震災で甚大な被害を受けます。日本電力の傘下になったり、戦時下でケーブルカーは観光路線と見なされて休止するなどの艱難辛苦を経て戦後は小田急の傘下に入りました。1959年(昭和34年)には箱根ロープウェイが開通し、箱根湯本と芦ノ湖北岸が登山鉄道・ケーブルカー・ロープウェイで結ばれました。そして芦ノ湖に大型の遊覧船が導入されロープウェイの終点桃源台から遊覧船で元箱根方面への周遊ルートが完成したのです。
今回はJR東海道線で小田原駅まで行って、そこから箱根登山鉄道に乗り換えて、箱根湯本、登山鉄道で強羅、ケーブルカーで早雲山駅まで行って帰って来るという鉄道旅です。
小田原、箱根登山鉄道の駅名標。小田原駅は上にも書いた様に最初に東海道本線が開通した時は御殿場線が本線だったので駅はありませんでした。1888年(明治21年)に小田原馬車鉄道が国府津から箱根町湯本まで開業していましたが、最初は馬車鉄道、その後電化されますが路面電車だったのです。現在の小田原駅は、1920年(大正9年)に熱海線が国府津駅から開業した時に作られました。1927年(昭和2年)小田急が新宿から開通。1935年に箱根登山鉄道もこの駅に乗り入れました。
2006年(平成18年)のダイヤ改正以降、小田原〜箱根湯本間は全て小田急の車両4両編成で運用されています。この区間専用の小田急1000形電車は箱根登山鉄道カラー(スイス・レーティッシュ鉄道のイメージ)に塗装されています。
標高14mの小田原駅を出発。2006年(平成18年)まで箱根登山鉄道が直接乗り入れていたので小田原駅まで三線軌条でした。このシザーズ・クロッシングも右側は三線軌条でした。
東海道本線と並走します。
東海道本線と別れて、半径160mの右カーブが待っています。
1.7kmで標高16mの箱根板橋駅。30000形EXEと列車交換します。左の単式ホームは箱根登山鉄道車両が走っていた頃に使われていた短いホーム、閉鎖されています。現在は島式ホームの1・2番線だけが使用されます。
駅名標。1935年(昭和10年)開業。1956年(昭和31年)小田原市内線廃止。2018年新駅舎供用開始。ロマンスカーは運転停車なので乗降はできません。
40パーミルの勾配を登って国道1号線を越えます。
1.0kmで標高36mの風祭駅。ここでも列車交換。
駅名標。1935年(昭和10年)開業。かつては島式ホームで箱根登山鉄道車両用のホーム長30mしかありませんでした。1993年(平成5年)〜2007年(平成19年)までは49m。小田急車両にドアカット装置が無いため、この駅では非常用のドアコックを使用して駅員や車掌が手動でドアを開閉していました。日常的に非常用ドアコックでドア扱いが行われていたのは日本の鉄道駅では風祭駅だけでした。2006年(平成18年)に登山鉄道車両の乗入れが無くなってから駅・ホームの改良工事が行われ、島式ホームから相対式ホームになり、ホーム長も85mとなり、2008年3月14日で非常用ドアコックによる1両だけの手動ドア扱いは終了しました。
次の入生田(いりうだ)駅からは三線軌条です。【私鉄に乗ろう95】箱根登山鉄道 その2 に続きます。
追記:
御存知の様に2019年10月12日、関東から東北を襲った超大型の台風19号が箱根登山鉄道に甚大な被害をもたらしました。箱根周辺では、1,000ミリを越えるトンデモナイ雨量が記録されたのでした。ニュース映像などを見る限りでは路盤や橋梁などの被害は凄まじい状態です。長い歴史と風雪に耐えてきた箱根登山鉄道が箱根湯本駅と強羅駅間で運休という事態になっています。
箱根登山鉄道は運行開始後、1923年(大正12年)の関東大震災では建造物のほとんどが倒壊してしまい、復旧して運行が再開されるまでには1年近い期間がかかりました。他にも事件や事故に遭遇し箱根登山鉄道は創立以来最大の危機を迎えたのでした。米一升が42銭という時代に300万円という被害総額だったのです。
今回の台風被害では、宮ノ下〜小涌谷間で23mも線路が押し流されたり、崩落した土石が線路を埋めている区間、橋梁流失など20ヵ所以上などのニュースが流されています。
事態はなお流動的ですが、被害に遭われた箱根登山鉄道にお見舞い申し上げるとともに、一日も早い箱根登山鉄道の復旧を心からお祈りいたします。
また復旧などの情報も随時。お知らせいたします。
(写真・記事/住田至朗)