以下、ネタバレも含まれますので『騎士団長殺し』未読の方はご注意ください。

読み始めた『騎士団長殺し』は、何と言うか、文章はいつもと同じで簡潔にして明晰。主人公は『ねじまきクロニクル』と同じ人物造形。穴ぼこにもぐる趣味も一緒。

しかし何で小説の冒頭で主人公は毎回離婚するのだろう。

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画家という設定は新鮮だけど。見ることを意識的に精緻化することと、描くことはシンプルに別次元ではないかと思います。

登場する騎士団長の姿をしたイデアは『カフカ』に登場したカーネル・サンダースと同種の”あやかし”。言わばソフィスティケートされた羊男。あるいは祖霊化した鼠という按配でしょうか。

善悪の彼岸。トリックスター。笑わせてくれます。

『騎士団長殺し』の中身に入る前に全くの余談。というかこのコラム自体が「余談の佃煮」みたいなモンですが。

モーツァルトは35年間の生涯、ほぼ純粋にお金のために音楽を演奏し作りました。その結果、残された作品がいかに天上的に美しくても、個々の作品は彼の日々の糧だったワケです。

頻繁に演奏される曲ではありませんが、K.613 Variations On “Ein Weib Ist Das Herrlichste Ding”という晩年に書かれたピアノの変奏曲があります。当時、妻コンスタンツェは妊娠した上に病気になって高級リゾートで療養中。巨額を稼いでも端からギャンブルですってしまうモーツァルト。

借金に喘ぐモーツァルトは、難解であるとされて人気の出ない自作オペラではなくウィーンで大人気だった『山だしの馬鹿な庭師』の第二幕で歌われた「女ほど素晴らしいものはない」のメロディーをまるで鼻歌の様に8つの変奏曲に仕立てて楽譜を出版します。

1771年の3月、モーツァルトの死の8ヶ月前のことでした。これで少しは借金の返済ができたのか否かは不明です。

この『山だしの馬鹿な庭師』はシカネーダーの台本にベネディクト・ジャックとフランツ・ゲルルが曲を付けたもの。彼らはモーツァルトの友人たちでした。この時期シカネーダーはモーツァルトに『魔笛』(K.620)の作曲を依頼、モーツァルトは友人のゲルルのためにアリア(K.612)を作曲しています。

というのは、偶々『騎士団長殺し』を読みながら延々とモーツァルトのピアノ独奏をかけていました。ダニエル・バレンボイムの”Mozart: Complete Piano Sonatas & Variations”の最後、8枚目のCDに収められてたこの曲を耳にして、聞き覚えの無いメロディーだったのでふと文庫本から目を上げた次第。モーツァルトは好きですが、聴いた瞬間にケッヘル番号がアタマに浮かぶ様な熱心なマニアでは全くないのです。変奏曲のメロディーはモーツァルトではありませんが、ヘ長調のかわいらしい変奏曲です。

『騎士団長殺し』の主人公も「生活のために肖像画を描いて」いました。しかし、モーツァルトという天才が残した神々しいまでに美しい音楽と比較するまでもなく凡庸な肖像画が残っているだけだと主人公は言います。

ちなみに『騎士団長殺し』で主人公は、リヒャルト・シュトラウスの”薔薇の騎士”というオペラをゲオルグ・ショルティ指揮のウィーンフィルで繰り返し聴きます。ハンガリー出身のユダヤ人指揮者ショルティは、戦後、実際にリヒャルト・シュトラウス本人から彼の作品の指揮法を伝授されたそうです。リヒャルト・シュトラウス自身が優れた指揮者でした。

※小説ではアナログLPですがこちらはCD盤

主人公以外で物語に重要な役割を持つ登場人物が二人います。そのうちの一人が免色という極度に端正で奇矯な謎の人物。主人公は依頼され免色氏の肖像画を描きます。肖像画のモデルをしている間に聴く音楽として、免色氏が選んだのがこの『薔薇の騎士』でした。

リヒャルト・シュトラウスと言えば、学生時代に”死と変容”を時々聴いてました。寝る直前に聴くとあの主題がアタマの中で反復的に鳴り響いて困ったけど。”ツァラトゥストラ”を含めて些か大仰なので現在のCDコレクションに、R・シュトラウスはほとんどありません。ゲオルグ・ショルティの『薔薇の騎士』はありましたけど。

ゲオルグ・ショルティは、ハンガリー出身のユダヤ人でピアニストとして音楽界にデビューした人。シカゴ交響楽団を建て直し一流のオケに仕立て上げたことで有名です。また吃驚する程多くのレコード(今はCD)を残しています。ユダヤ人なのにワグナーの録音も多いし。

私が時々聴くショルティは、モーツァルトが唯一2台のピアノのために作った協奏曲、変ホ長調K.365。ショルティの振るイギリス室内管弦楽団をバックに、同じくハンガリー出身のピアニスト、アンドラーシュ・シフ(この人のピアノの音が好き) とアルゼンチン出身のユダヤ人ピアニスト、ショルティからシカゴ交響楽団の音楽監督を引き継いだダニエル・バレンボイムが弾く1曲。凄い顔合わせのスタジオ録音です。

CDには同じくモーツァルトの3台のピアノのための協奏曲ヘ長調K.242が入っていて、ショルティの指揮でショルティ、シフ、バレンボイムの3人が弾いています。通常はモーツァルト自身が2台のピアノ用に編曲したものが演奏されます。というのは、この曲はザルツブルグの貴族ロドロン伯爵夫人と二人の娘のために作られていて、3台目のピアノは下の娘用に極めて平易にオマケの様になっているから。このオマケのパートをショルティが弾いています。

そしてもう1曲、ショルティが自らピアノを弾いて指揮もしたモーツァルトのニ短調協奏曲K.466。モーツァルトが初めて短調で作ったピアノ・コンチェルト、素晴らしい曲だけど、ショルティ先生、ピアニスト出身とは言えピアノ演奏はかなり錆び付いています。何しろ名手アンドラーシュ・シフ とダニエル・バレンボイムが控えているのです。(笑)

それでも自身で指揮する素晴らしいオケをバックに気合いで弾く巨匠ショルティ先生の”たどたどしさ”が考え様によってはチャーミングかな。完全主義者ショルティ先生にして、どうしても自分で弾きたかったのでしょうね。

『騎士団長殺し』の話が進まないのは、1回4冊を読了して全体像を把握してからにしたいので、ちーと時間がかかっているのです。

この項、牛のヨダレの様にだらだら続きます。くたばってしまえ(二葉亭四迷)。

(写真・記事/住田至朗)