読鉄全書 池内紀・松本典久 編 東京書籍【鉄の本棚 23】その19

2019.06.25

次は「古川ロッパ昭和日記」(1948〜1952)です。

古川ロッパという名前を聞いたことはありますが、実際に活動した時代を知らないので、エノケン(榎本健一)、エンタツアチャコなどと同様にテレビの懐古番組で見たかなぁ、というレベルです。若い方はおそらく名前も御存知ないでせう。

簡単に人物を紹介します。1903年(明治36年)東京帝大総長加藤照麿男爵の六男として出生、嫡男以外は生後間もなく養子に出すという家訓から父の妹夫婦古川武太郎(満鉄役員)に育てられます。まず華族出身の芸人というのが珍しい。その上、早熟で文才を周囲に認められ、早稲田大学在学中に菊池寛に招かれ文藝春秋社に入社しています。

素人芸ながらそれまで「声色(こわいろ)」と呼ばれていた芸に「声帯模写」という名称をつけて実演、好評を得ました。

この後、映画評論から、実際に本人が軽演劇の舞台に登場、映画にも出演など、エノケンと並ぶ人気者になって戦前〜戦中、活躍します。コミックソングのレコードも多く残しました。

得意の声帯模写では体調異変でラジオの生番組に出演できなくなった徳川夢声のピンチヒッターでラジオに生出演、徳川夢声の奥さんがラジオを聞いて「夫は病気で寝ているはずなのに」と病床を確認したと言われるほど似ていたそうです。

終戦後は、人気が凋落しましたが、テレビの黎明期に復活し活躍したそうです。私がテレビで最初に覚えているのはトニー谷、大村崑、何よりもクレイジーキャッツですから、古川ロッパさんよりもカナリ後の時代でしょう。1960年(昭和35年)57歳で亡くなっています。若い頃からの美食による糖尿病が悪化、晩年には結核を患っていたそうです。

古川ロッパさんはひじょうに筆まめで日記を1930年代初頭から死の直前1960年代まで細かくつけていて、この間の芸能界、軽演劇などの重要な資料になっています。晶文社から『古川ロッパ昭和日記』として「戦前篇 昭和9年〜昭和15年」「戦中篇 昭和16〜昭和20年」「戦後篇 昭和20年〜昭和27年」「晩年篇 昭和28年〜昭和35年」の4巻が刊行されています。

この本には「戦後篇 昭和20年〜昭和27年」から採られています。

1948年(昭和23年)7月6日(木)曇晴
京都駅では駅長室に案内されます。ソコでエノケン夫妻と一緒になり9:40発の「つばめ」で東京へ。食堂車では酒を飲むエノケンを前に、タン・シチュウ、オムレツ、トースト、バナナ2本の朝食を食べました。13時、食堂車で昼食。240円(現在なら1800円程度)の定食、海老フライ、ローストビーフ、丸パンでは足りず、チキンカツレツ、タン・シチュウを追加。個々の皿の量が分かりませんが大食漢(言葉の本来の意味でグルメ)であることは間違いないでしょう。

展望車に行くと冷房が効いていて快適です。エノケン展望車でも飲み続け、ドアを開けて展望車のデッキから立ち小便。この時代、列車のトイレはそのまま線路に落としていたのですから、行儀作法という点を除けばトイレへ行くのと同じだったのでしょう。

東京駅八重洲口から「車を拾ふ」。帰宅。

1950年7月11日(火)晴
バスで東京駅。十時半の鹿児島行で名古屋へ。一等寝台に東宝の社長が乗っていて呼ばれます。そこで歓談の後、席に戻ってアイスクリームを3つ食べました。

8月1日(火)晴
(北海道から)青森に連絡線で向かいました。北海道よりも青森の方が涼しいと古川ロッパは喜びますが翌朝の朝食が気に入りません。青森松竹で舞台興行。夜20時発の一等寝台ですが冷房が壊れていて天井から水が洩れます。劇団員と深更まで飲んで騒ぎ国鉄職員に注意されて寝に着きました。

8月2日(水)曇
上野着。タクシーは安くなったと家まで800円(今の6000円見当)、運転士に200円のチップ。

夕食、食欲なく飯二杯。本書 p.332

! 食欲があったら何杯食べるの?(笑)

8月4日(金)晴
東京駅発9時のツバメ。1時食堂車。定食2皿とタン・シチュウとチキンカツレツ、外食券で飯。京都に5時20分着(東京から6時間20分かかっています、東海道本線の全線電化は1956年なのでその6年前)。

8月21日(月)晴
大阪で9時発つばめ。一等、冷房が効いている。「寄っかゝりの椅子」(おそらくリクライニングシート?)で眠くなります。目が覚めると食堂車に。

定食、魚とタン・シチューの紙の如き。他に、チキン・カツレツとビーフ・シチュウ、各々哀しき味なれどこれで満腹。本書 p.334

1951年12月4日(火)晴
東京発9時のツバメで大阪。キャバレエの仕事。キャバレエ社長のフォードで「ゲテ風呂」(関所や中途半端な骨董が並べられていた様ですが 不明です)

1952年9月15日(月)雨
上野駅8時50分発の青葉で福島。食堂車で、ハムエグス、トースト、コーヒー、チキンカツ。福島駅から雨の中ハイヤで飯坂温泉へ。風呂に入り空腹なのでうどん卵とぢを食べます。映画のシナリオを書きながらの旅。観光協会理事でもある旅館の経営者と45人分一週間〜10日のロケ宿泊代、自動車、バスなどの打ち合わせ。電鉄とのタイアップ依頼などします。

・・・という些か断片的な印象を受けてしまうのは、まだまだ日記が延々と続いていくからなのですが。兎に角古川ロッパさん実に健啖。華族出身という割りには、気が短くてやや鷹揚さに欠ける気がします。

(写真・記事/住田至朗)


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