読鉄全書 池内紀・松本典久 編 東京書籍【鉄の本棚 23】その20

2019.06.26

深田久弥「親不知、子不知」(1958年)

深田久弥(1903-1971)も、登山に興味のない者には『日本百名山』の著者という知識しかありません。親不知、子不知と言えば旧北陸本線の市振駅から青海駅まで続く断崖絶壁の景勝地です。

北アルプス・飛騨山脈の北側が日本海に面している部分、歌の集落辺りに親不知駅があって、東側は青海駅付近まで子不知、西側市振駅付近までを親不知と言います。

石川県加賀市で生まれた深田久弥は一高入学来北陸本線で東京と行き来してきました。親不知、子不知を19歳で初めて通って以来何十回も通る度に、中学の同窓中野重治の「しらなみ」詩を暗誦したのでした。

ここにあるのは細長い磯だ
うねりは遙かな沖なかに涌いて
よりあいながら寄せて来る
そしてこの渚に
さびしい声をあげ
空きの姿でたおれかかる
そのひびきは奥ぶかく
せまった山の根にかなしく反響する
がんじょうな汽車さえもためらい勝ちに
しぶきは窓がらすに霧のようにまつわつて来る
ああ 越後のくに 親しらず市振の海岸
ひるがえる白浪のひまに
旅の心はひえびえとしめりをおびて来るのに

深田氏は一高入学の夏休みの終わりに一度下車して親不知を歩いたのですが爾来30年、1955年(昭和30年)泊駅で下車して市振まで海岸を走るバスに乗ります。市振の寺に芭蕉の句碑。

一つ屋に遊女も寝たり萩と月

旅の遊女の艱難辛苦を聞いた芭蕉の一句です。

直江津から北陸線に入って、筒石、能生、青海、市振と汽車は海辺を進みます。深田氏は能生を通る時に気になる場所がありました。お宮に広場があってお堂と形の良い老松が見えるのです。1956年(昭和31年)上野駅から夜行に乗った深田氏は何となく糸魚川で下車。能生の春祭りを知ってバスで訪れたのです。

お宮のすぐ裏は小高い丘になっていて、そこは白山神社社叢として天然記念物に指定されていた。珍しい植物分布のさまが見られるからであった。またこの社叢にのみ生息する姫春蝉は、特別な鳴き声で有名だそうだが、まだ時期には早くて聞けなかった。 本書 p.343

再び親不知の海岸で深田氏は友人の詩を引用しています。

人も犬もいなくて浪だけがある
浪は白浪でたえまなく崩れている
浪は走ってきてだまって崩れている
浪は再び走ってきてだまって崩れている
人も犬もいない
浪は朝からくずれている
夕がたになってもまだくずれている
親知らず子知らずは、本当に波だけのあるところだ。

(写真・記事/住田至朗)

TAGS 書籍 雑誌


LINEで送る

オススメ記事

こちらの記事もオススメです