札沼線中小屋駅【50代から始めた鉄道趣味】その88
※2019年6月撮影
国道275号線に沿って進み郵便局の反対側を50mほど入った場所に中小屋駅がありました。国道から駅が見えるので探し易いと思います。月ヶ岡駅からの駅間は2.8km。この駅から当別町に入りました。
駅前広場というのか、広い空間があります。左の小屋はトイレでは無く倉庫の様でした。
※2019年6月撮影
JR北海道様式で駅名標が立っています。緩急車・車掌車改造の駅舎は、かなり塗装が傷んでいます。
※2019年6月撮影
駅舎からホームに登る階段。ホームは土を盛ったダケ、砂利で覆われています。農地の向こうに山というか、丘があります。石狩平野の西側を札沼線は走っているのですね。
※2019年6月撮影
ホームに上って新十津川方面を見ています。線路の反対側にも道があって住宅が一軒あります。というかこの道はこの家のためにある様です。住宅の向こうは森が広がっています。
※2019年6月撮影
こちらは反対の札幌方面。駅舎側に側線が残っています。かつてはホームと撤去された木造駅舎との間に敷かれた貨物積み降ろし線だった様です。札比内駅にはレールが残っていませんでしたが同じ様な構造の駅だったのでしょう。駅から離れてゆく線路の形にもその痕跡があります。
※2019年6月撮影
ホームの駅舎側に残る側線。草に覆われています。
※2019年6月撮影
側線の先を望遠で見ると、ポイントは撤去されています。
※2019年6月撮影
駅名標。1935年(昭和10年)札沼線全通時に開業しました。1972年(昭和47年)貨物取扱が廃止、1979年(昭和54年)には荷物の取扱も廃止されました。
ちょっと余談ですが、旧国鉄にはチッキという「託送手荷物」が有りました。チッキとは不思議な呼び名ですが、預かり証(check)から転訛した言葉の様です。1976年(昭和51年)にヤマト運輸が「宅急便」を開始するまでは多くの日本人に利用されていました。小荷物と異なり送り手が未使用の乗車券を所持していることで乗車券の区間、安価に荷物を送ってくれるサービスだったのです。筆者の実家があるJR中央線の武蔵小金井駅にも古い駅舎にはチッキ・貨物取扱所が有りました。夏休みなど関西に帰省する際に手荷物では運びきれない荷物をチッキで送ったものです。行李(こうり)が送られているのを見た記憶がありますから、割りに大きな荷物もOKだった様です。今は昔のお話し、ですが。現在でも島根県の一畑電車で存続している様です。
レンタカーの向こうに国道と郵便局が見えます。中小屋という駅名はちょっと不思議な語感ですが、語源には諸説ある様です。1939年(昭和14年)に鉄道省札幌鉄道局発行の『駅名の起源』は1973年(昭和48年)に旧国鉄北海道総局が新版『北海道 駅名の起源』(古書で持っています)を出しています。それによると道路工事に使役された囚人たちを収容する小屋が月形と当別の中間であるこの辺りに設けられたのが中小屋という地名の語源とされています。
※2019年6月撮影
駅舎。車掌車時代の尾灯がそのまま付いているのは珍しいのでは? あまり見た記憶がありません。
※2019年6月撮影
駅舎内部。窓はオリジナルのままかな?
※2019年6月撮影
ベンチに駅ノートなどが置かれていました。夏、駅舎内は暑くなりそうですね。
※2019年6月撮影
次は本中小屋駅に移動します。
(写真・記事/住田至朗)