※2019年6月撮影

国道275号線の西側に駅があって、踏切はありません。手前で国道を踏切で渡って、西側の道からアクセスしました。緩急車の駅舎と駅名標、手前にかつての駅舎跡らしきコンクリートの基礎、と中小屋、本中小屋と続いたパターンが踏襲されています。駅舎の塗装パターンも左右逆転しているだけで同じ。※トップ画像も参照してください

※2019年6月撮影

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ホームと駅舎の位置関係などやホーム自体は駅ごとに少しずつ異なっています。石狩金沢駅は駅舎の北側にちょっとズレて砂利のホームがあって、手前のスロープを上ります。奥が新十津川方面になります。

※2019年6月撮影

ホームに上がって新十津川方面を見ています。かつては島式ホーム1面2線で交換可能な駅でした。

※2019年6月撮影

こちらは札幌方面、駅舎との位置関係が分かります。貨物扱いのあった頃、1970年代には、島式ホームと単式ホームの2面3線という駅だったのです。

※2019年6月撮影

駅名標。1935年(昭和10年)札沼線全通時に開業。駅所在地名金沢の起源には諸説ありますが、いずれの説も北陸金沢出身の人物が関わっています。それこそ新十津川駅の所在地が紀伊半島の山奥にある十津川村からの移住者によって新十津川と名付けられた様に、この場所は「金沢」という地名になった様です。駅名はそれに旧国名の石狩が冠されています。

※2016年9月撮影

これは車両から撮った写真。ミラーに乗車しているキハ40形402が写っています。

※2016年9月撮影

似た様なカメラ位置ですが、2015年3月に同じく車両から写した写真です。北海道の3月はまだまだ冬なのです。

※2015年3月撮影

駅舎の車掌車に付いていた銘板。「東京・日本車輌・昭和29年」と読めます。1954年製なのですね。ユーミンと同じ歳ですか・・・。日本車輌と言えば名古屋の老舗、物凄い種類・数の国鉄貨車を製造しました。もちろん蒸気機関車、客車、ディーゼル機関車、電気機関車、電車、ディーゼルカーなどあらゆる鉄道車両を作ってきた会社です。現在はJR東海の連結子会社になっています。東京支店蕨工場があった頃は0系新幹線車両などを製造していました。この車掌車も蕨の出身なのかな? 詳しい方ご教示ください。

※2019年6月撮影

駅舎横の駅名標。北海道医療大学の上書きは、1995年に「大学前」駅から「北海道医療大学」駅に改称されたことに因るものと思われます。

※2019年6月撮影

以上で札沼線廃止予定区間駅の訪問はお仕舞いです。都市部と異なりレンタカーで駅を訪問して短時間駐車するのがとてもイージーでした。楽しくて、クセになりそうです。

ついでですから北海道医療大学駅から非電化線になる部分、具体的には架線が無くなる部分を次回紹介して終わりにします。

(写真・記事/住田至朗)