香澄が訪れるのは北リアス線

前回(https://tetsudo-ch.com/9537149.html)のコラムをお読みいただいた方は「なぜ一介の女子大生が鉄オタの巣窟に入り浸るのか?」という疑問を抱いたままかと思いますので、ここでネタバレにならない程度に明かしてしまいましょう。

香澄は叔父の”タカ兄ちゃん”こと園部高之を探していました。高之は大の鉄道ファンであり、「西神奈川大学鉄道旅同好会」の一員として大変優れた紀行文を書く、ややマイペースな人でした。歳が近かったこともあり、香澄の想い人でもありました。しかし彼はある日突然、誰にも理由を告げぬまま失踪し、行方不明になります。

『夢より短い旅の果て』は香澄が鉄道旅同好会の活動を通して叔父を探し続ける話でした。続巻となる本書『愛より優しい旅の空』は、見つからぬ叔父への想いに決着をつける話です。彼女は行方不明の叔父を探す鉄道旅の途上で、不思議な謎と遭遇しながら、問題を抱えた人々と触れ合う中で己が人生の行く先を決めていくことになります。

さて、『愛より優しい旅の空』で取り上げられるのは……

・「歌う電車」京急電鉄/東京モノレール
・「青い蝶の空」南阿蘇鉄道高森線
・「避暑地の幻」中央本線~小海線
・「希望の海(一)」東北本線~那須電気鉄道
・「希望の海(二)」釜石線~山田線~三陸鉄道北リアス線

「歌う電車」はミステリ要素もさることながら人間の情の「こわさ」が凄みをもって描かれているお話です。シーメンス社製インバータを使った京急の赤い電車が奏でる「歌」を録音していた香澄は、ある女性からそれを聞かせて欲しいと頼まれる。この「歌」は彼女のなくしたはずの思い出と密接につながっているようなのですが、どういうわけか”しっくりこない”。理由を探していく内に、香澄は彼女の息子と名乗る人物と出会い、親子関係を修復するため彼女が聞いたと思しき幻の「歌」を探すことになります。

南阿蘇鉄道の旅を描いた「青い蝶の空」は、奪う恋しかしたことがなかった先輩や夫を亡くした女性との関わりの中で香澄が決意を固めていくお話。ミステリ要素こそ強くないものの、香澄が自らの行先を決める上で重要な一編になります。続く「避暑地の幻」ではまた転調し、大学教授の見る悪夢を小海線の知識をもとに解決していくといういかにもな鉄道ミステリが展開されますが、ここでも謎解きの最後にちょっといびつな家族関係が明かされる。そうして最後の「希望の海」では、東北の旅を通じて本シリーズの最大の謎である「高之の失踪」と向き合います。

謎と解決に目を向けると、やはり「歌う電車」と「避暑地の幻」が名編かなと思うのですが、全体的にミステリ要素はそれほど濃いわけではありません。『夢より短い旅の果て』のラストでも言及されますが、前巻の話が終了したのち東日本大震災が発生し、予定していた取材も出来なくなるなど大きな路線変更を余儀なくされました。そのためか前巻と比べると人間の強い情念というか、失われてしまったものへの嘆きとそれを取り戻そうとする切実さが前面に押し出されているような印象を受けます。

たとえば「歌う電車」で語られる家族関係の崩壊なんかはなかなか凄まじいものがありますね。前巻では急行能登に乗った怪しい女性に関係する話の中でかなりブラックなバックボーンが出てきましたが、今回はいきなり”息子に殺意さえ抱いた”という母親が出てきますからね。最初から全速です。こんなん縁切りたくなるでしょってくらい感情が重い。それでも血は水よりも濃いわけで、母親と息子は「歌う電車」をきっかけにまた手をつなごうともがく。

そうした喪失と回復の構図は最終的には香澄にも適用されるわけですが、「希望の海」を通じて描かれるのは彼女だけでなく、被災した東北が復興していく当時の姿です。鉄道が人を癒すものかどうかは意見の分かれるところではあるでしょうが、鉄道旅を通じて人間と土地に同じ構図を適用することで、主人公の抱えた問題を解決へ導くとともに、東北へのある種の祈りのようなものを描き出そうとしたのではないかと思わずにはいられませんでした。

鉄要素は相変わらず濃いめ

旅先の鉄道に関する語りは相変わらずです。香澄が中心になって行動する前半はさほどでもないのですが、やはり井上大吾郎や鉄道旅同好会OBたちが出てくると濃くなっていきますね。「避暑地の幻」ではみんなで『元気甲斐』や『高原野菜とカツの弁当』なんかを発売に至る経緯を語りながら食べていて(本書に解説を寄せたミステリ界隈の超大物、辻真先先生は後者のレタスの食感がお好きだそうな)、「希望の海」では烏山線の那須烏山市営バスを使った「路線跨ぎ」にもさりげなく言及してたりする。

“「うん、なんかさ、路線図眺めて旅の計画練る時でも、できれば一本でも多くの路線に乗って帰りたいと思っちゃう。そういう意味では、大回り、って呼ばれてる一文字を描いて戻って来る旅、あれがいちばん美しいと感じたりして。鉄分の少ない人からしたら、どうでもいいじゃんそんなこと、って話なんだけど。で、烏山線も盲腸線だから、普通に乗り潰ししたら終着駅で折り返すしかない。でもね、路線バスを使うと、真岡鐵道の市塙駅に繋げることができる。ほんとは真岡鐵道の終着駅、茂木に繋げられたら美しいんだけど、まあ贅沢は言えないんで市塙に繋げて、それから茂木まで行ってから折り返して水戸線で小山に抜けると、重複乗車する区間は茂木と市塙間だけで済む。ちょっと満足感がある」”

本筋とは全然関係ない話なんですけどね、これ。でも、こういう話が好きな人には本当にどこまでも肌に合う一作。上下巻合わせて結構なボリュームがありますが、鈍行で行く鉄道旅のおともに読んでいたら、また目的地が増えてしまいそうですね。

記事/写真:一橋正浩