70年後に駅名を改称 晩夏鉄道旅顛末記2【50代から始めた鉄道趣味】148
※2009年9月撮影
トップ画像は2009年9月に八戸線で八戸駅から久慈駅に向かったキハ40 563です。500番台はキハ40系の寒冷地仕様。白い車体に赤帯は青森・盛岡の一般色。このキハ40系、本当に壊れそうなくらいにディーゼル・エンジンを激しく唸らせてノロノロと歩くような速度で八戸線の勾配区間を登っていったことを覚えています。冷房はありませんでした。この時、9月と言ってもまだ昼間は暑く、窓をいっぱいに開けて走っていました。この車両、2017年(平成29年)に八戸線の運用を離れ、2019年1月には残念ながら廃車になりました。もう10年が経ったのですね。
単線の高架線を走ります。左にカーブして真東に向かいます。沿線は住宅街。
長苗代駅から2.1kmで本八戸駅。島式ホーム1面2線。列車交換できます。
駅名標。「うみねこレール八戸市内線」様式です。下部の隣駅部分が2016年(平成28年)にユネスコの無形文化遺産に指定された「八戸三社大祭」の写真になっています。なかなか芸が細かい!祭の期間、7月末・8月初頭は近隣のホテルがすごく混むので避けるのが賢明です。
この駅、歴史が少し複雑です。日本鉄道が現在の東北本線の八戸駅を尻内駅という駅名で開業。現・八戸駅の所在地は八戸市大字尻内町なのです。
しかし、1894年(明治27年)に日本鉄道が八戸市街の最寄り駅として青森市線の八ノ戸駅(現・本八戸駅)を開業したのが始まりです。1907年(明治40年)八戸駅に改称。
何とそれから、70年近くが過ぎた1971年(昭和46年)東北本線との接続駅・尻内駅に八戸駅という駅名を譲る形で本八戸駅に改称されました。2004年(平成16年)と2015年(平成27年)の二度にわたって大規模な駅舎改修工事が実施されています。JR東日本様式の駅名標もありました。
不思議なコトに本八戸駅を出ると、複線の幅の高架線に単線です。愛知県の愛知環状鉄道を思い出します。
左側に、1985年(昭和60年)に廃止された湊駅までの貨物線があったのですね。1977年(昭和52年)に本八戸と陸奥湊駅までが高架線化されています。湊駅に分岐する部分も高架化されていたのです。もちろん、35年近くが経っていますからレールは撤去されています。航空写真などで確認すると高架は途中まで残っています。
1.8kmで小中野駅。高架線に単式ホーム。手前のガードは道路を渡る橋梁。
無人駅です。
駅名標。1934年(昭和9年)開業。以前は本八戸駅から駅員さんが派遣されていましたが、2005年(平成17年)に派遣は無くなり、無人化されました。同時にトイレと駅事務室も撤去。ホーム上の待合室だけになっています。階段下の駅出入口には飲料自販機だけが置かれています。
出入口の横に別棟の八戸線用簡易自動券売機の小さな建屋があります。
高架が終わって地上に降ります。
まだまだ八戸の市街エリアです。では次回も八戸線に揺られます。
(写真・記事/住田至朗)