20世紀の終わり頃 以来です 【駅ぶら01】小田急江ノ島線24
トップ画像は、鶴川駅を出た途端にすれ違った箱根湯本行特急ロマンスカー。最新型70000形GSE。2018年(平成30年)デビュー。2005年(平成17年)デビューの50000形VSE以来、13年ぶりにロマンスカーの代名詞、前後の展望席が復活しています。客席の窓は高さ100cmという大きな風景が楽しめる仕様。2019年(令和元年)鉄道友の会のブルーリボン賞を受賞しました。
鶴川駅から柿生駅の間は、東京都町田市(鶴川駅)を出て神奈川県川崎市~東京都町田市~神奈川県川崎市と県境を出入りしながら進みます。
・・・とは言え、地面に境界線が描いてあるワケではありませんから、東京都町田市を走っているのか、神奈川県横浜市なのか川崎市なのか・・・。
鶴川駅から1.7kmで柿生駅。駅は神奈川県川崎市麻生区にあります。
かつては島式ホーム2面4線だったことが線路の左右、ホーム手前の空き地で何となく分かります。
ホームがカーブしているので前面展望が難しい。相対式ホーム2面2線と跨線橋という定型です。
既に書いた様にこの日10月30日(水)は中央林間駅から相模大野駅を経て登戸駅まで先に前面展望を撮ってから逆に戻りながら各駅に降りて撮影しています前面展望を撮ったのはホームの時計で11時25分でした。
帰路に柿生駅下りホーム1番線に降りました。14時半を回っています。ずいぶん太陽が斜めになって影が長いなぁ。かつて、この駅にサラリーマン時代に筆者を可愛がってくれた系列会社のエライさんが住んでいたので訪れたことがあります。その時、ホームにあった箱根そばを食べましたが、閉店したのか見当たりません。
そのエライさんのお嬢さんが女子大でインター・ネットを始めるに当たって学校の指定がAppleだったので困ったF通社員の彼がMacユーザーだった筆者にMacのセットアップとインター・ネット接続を娘と一緒にやって教えてくれ、という依頼でした。その方は既に物故されていますが、東大時代オケの指揮者をやっていたという音楽ファンで筆者とは音楽の話で仲良くなったのでした。そのお嬢さんは有名な俳優さんと結婚されてお母さんになっています。何しろ柿生駅に行ったのは20世紀が終わる頃の話なのです。
駅名標。柿生という地名は現存しません。1889年(明治22年)町村制施行で、上麻生村、下麻生村、王禅寺村、早野村、古沢村、万福寺村、片平村、五力田村、栗木村、黒川村が合併して柿生村が誕生しました。日本最古の甘柿「禅寺丸柿」の原産地であったことから柿生と名付けられたそうです。1939年(昭和14年)川崎市に編入され柿生村は消滅しました。現在の川崎市麻生区の大部分がかつての柿生村です。
1927年(昭和2年)小田急小田原線開通時に駅が作られました。現在の川崎市麻生区内では唯一の駅でした。その後、戦後の新興住宅地開発に合わせて1970年代に新百合ヶ丘駅などが開業しました。1977年(昭和52年)までは島式ホーム2面4線でしたが8両編成用だった待避線の使用が中止されました。換わりに帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)千代田線との相互乗入れ開始で10両編成用待避線が隣の鶴川駅上りホームに設けられたのです。
まずは下りホームにある南口改札に行きました。
南口を外から。
離れるとこんな感じです。柿生駅の改札口は狭い道にしか面していないのです。
駅南口の近くにあったフィルム現像OKのユニークな写真屋さん。柿生村が原産地という「禅寺丸柿」の写真も飾ってありました。
跨線橋を渡って北口に来ました。エレベーターを降りた場所から撮っています。
右奥にそのエレベーターがあります。
北口の前は狭い通路で、駅名表示はその通路に面する道から見える場所に掲示されています。
20年ぶりに柿生駅に来ましたが、駅周辺の変化が激甚過ぎてよく分かりませんでした。
【駅ぶら01】小田急江ノ島線25 に続きます。
(写真・記事/住田至朗)