玉川学園前駅を出ると小田原線の両側は玉川学園が続きます。幼稚園から大学院までが東京ディズニーランド(51万平米)を越える59万平米の敷地に揃っています。生徒数も総勢1万人を数えます。延々と玉川学園の敷地内を小田原線は走ります。

小田原線の境塚トンネル(231.4m)も玉川学園の敷地内にあります。

この辺りは、東京都町田市、神奈川県横浜市、神奈川県川崎市の境界がグチャグチャに入り組んでいます。トンネルは町田市内なので東京都です。でもトンネル坑口の右(東)側の玉川学園幼稚部と高等部の間に境界があって高等部は神奈川県横浜市、その北側の農学部は川崎市という複雑な場所なのです。

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トンネルを出た辺りも東京都ですが

和光大学を過ぎた辺りから小田原線は東京都町田市と神奈川県横浜市の境界線上を走ります。

いったん神奈川県横浜市に入ったあと300mも進まないうちに再び東京都町田市に入って鶴川駅です。玉川学園前駅からは2.8km。

上りは島式ホーム1面2線ですが下りは単式ホーム1面1線というちょっと不思議な駅です。朝のラッシュ時は上りホームの3番線待避線で各駅停車などが快速急行に抜かれる様です。駅舎は跨線橋で渡った上りホームの北(右)側にあります。下り1番線ホームには小田原駅側に南口改札口があります。写真右側に見えています。こちらは駅員無配置です。

上りホーム駅名標。1927年(昭和2年)小田原線開業時に鶴川駅が開設されました。駅名は駅が開業した当時の所在地が神奈川県南多摩郡鶴川村だったことで命名されました。1958年(昭和33年)町田市などと合併し、鶴川村は消滅しました。駅名、中学校名、町名としても残っています。

個人的には、白州次郎氏が鶴川村能ヶ谷の古い農家を買って「武相荘」と名付けて住んでいたことを思い出しました。武蔵国と相模国の境界辺りにあったからのネーミングです。奥様の白州正子さん(樺山伯爵令嬢です)のエッセイなどにも登場します。戦後は、吉田茂首相のブレーンとしてケンブリッジ大学~大学院仕込みの英語でCHQと渡り合ったことで有名です。ベントレーを駆って二人でジブラルタルまでヨーロッパ中を旅をした終生の親友が後のストラフォード伯爵ですから英国流貴族のライフスタイルを熟知していたのです。CHQは白州氏の英国貴族仕込みの英語にたじろいだことでしょう。

前面展望のあと、登戸駅から下り各駅停車で戻って来ました。下り単式ホーム小田原駅側の南改札口です。

南改札口辺りから新宿駅方面を見ています。

南口。すぐに踏切があって線路の反対側(北側)に渡れます。

踏切を渡って新宿駅方面に進むと小田急マルシェがあります。北口改札は小田急マルシェが終わった先の右側。

北改札口です。跨線橋は左に進んだ方にあります。初めて降りた駅ですが、あの白州次郎さんが住んでいた、と分かったのでゆっくり駅の北側を武相荘まで散歩したくなりました。周辺にはもはや戦後頃のイメージは残っていないでしょうが・・・。

おやおや駅前にたこ焼きの屋台が、食べたくなりましたが・・・我慢します。う~っ、良い匂い!

【駅ぶら01】小田急江ノ島線24 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)