まだまだ三浦半島は遠いけど【駅ぶら03】京浜急行58

2020.05.30

井土ヶ谷駅を出た京急本線は、左にほぼ90度カーブして南に下がってゆきます。直進したらJR東海道本線というか横須賀線の東戸塚駅に突き当たります。(笑)

ところで、どの辺りから三浦半島かというと、横浜市の最高地点、磯子区の円海山(護念寺)辺りから藤沢市の片瀬に引いた線が北限と言うコトなので、京急本線で言えば能見台駅辺りから三浦半島になる感じでしょうか。まだまだ三浦半島ではないのです。でも、すでにデコボコしているのは、2000万年くらい前に太平洋プレートに乗って三浦半島が日本列島に押しつけられて出来たということに由来しているのではないでしょうか。円海山もその時に出来た「皺(しわ)」だと言います。

トンネル「5」がありました。井土ヶ谷駅から1.4kmで弘明寺駅。手前左側は切り通しです。相対式ホーム2面2線で、ホームの先にはまたトンネルがあります。弘明寺駅の品川側に踏切があります。

ここからは【駅ぶら】カットです。撮影は2020年1月19日。日曜日でした。でも上りホームに人影はありません。ホームの西側は弘明寺公園の丘陵部分があって切り通しになっています。公園の丘陵は東に張りだして、その下をトンネルが抜けてゆくのです。

トンネルを望遠レンズで見るとトンネル番号「6」が確認できました。

反対の品川方面。この位置からは踏切がよく見えません。

駅名標。湘南電気鉄道が黄金町駅~浦賀駅を開通させた1930年(昭和5年)に途中駅として設置されました。駅用地は弘明寺の裏山を買収したもので、その際の条件が駅舎を寺社造りにすることでした。残念ながら筆者は古い弘明寺駅舎の写真を持っていません。1941年(昭和16年)には湘南電気鉄道が京浜電気鉄道(京浜急行電鉄の前身)に買収されます。弘明寺駅は京浜電気鉄道の駅になりました。戦時下の私鉄統合で大東急の湘南線の時代をはさんで、戦後の1948年(昭和23年)再び京浜急行電鉄が分離独立して現在に至っています。

1969年(昭和44年)6両編成対応ホームに延長。1984年(昭和59年)橋上駅舎化されました。

1985年(昭和60年)駅前広場と駐輪場が整備されます。1987年(昭和62年)にはさらにホームが8両編成対応に延長。2010年(平成22年)エアポート急行の停車駅になりました。

ホームからエスカレーターで橋上駅舎に上がりました。跨線橋からホームが見おろせました。浦賀方面のトンネルも見えます。

改札口です。

改札の外。

今度は品川方面が見渡せました。さてどちらの出入口に降りましょうか。

では次回から弘明寺駅周辺を【駅ぶら】します。【駅ぶら03】京浜急行59 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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