横浜市富岡総合公園から京急富岡駅に戻ってきました。西口にまだ行っていなかったので、西側にまわります。周囲は純然たる住宅街です。

西口は階段のみです。

西口の前に緑道がありました。

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富岡川せせらぎ緑道という看板があります。横浜市のサイトに由ると暗渠化された富岡川の上部にせせらぎを人工的に設えて整備された緑道とのこと。

幸い人通りがほとんどありませんでした。海軍横浜航空隊の後、少し放心して休憩したかったので路傍の石に腰掛けました。せせらぎの穏やかな水音が心地好いです。

周辺は住宅街ですが、せせらぎの横は少し盛り上がった森になっていて空気も良い感じ。

余談ですが、筆者の実家、武蔵小金井には武蔵野公園と野川公園という自然の公園があって散歩には好適です。バーベキューのできる広場があったり、春には桜が見事なのでお弁当を詰めてノンビリ花見をしたりできます。昔はホタルがたくさんいたそうですが、実家が越してきた1978年(昭和53年)頃には見られなくなっていました。

一方、現在の三浦半島の自宅横を流れる小川にはゴールデン・ウィーク頃にはホタルがたくさん飛ぶので友人たちを招いてホタル酒の宴などします。筆者手製の鰺やカマスの干物が肴です。

小学校から大学までを過ごした世田谷区の端っこでも、かつてはクワガタが採れました。烏山の寺院通りが近く、静かな散歩にはこちらも好適でした。

せせらぎの石に腰掛けてボンヤリとこの様なことを思い出していました。水音は、人間を癒し、内省的記憶を蘇らせる不思議な力がある様です。

しばらく休憩したので次の駅に向かう事にしました。

京急富岡駅から能見台駅は駅間が0.7kmと短いのですぐに駅が見えました。直線で駅に近づいたのにホームがカーブしています。ホーム終端部まで右カーブしたままです。

ここから【駅ぶら】の写真になります。上りホーム、浦賀方面を見ています。

上りホームですが浦賀側の端部。上屋1/6から出たので陽射しが強いです。品川側を見ています。

橋上駅舎の下に入ると外は明るいのでトンでしまいます。

駅名標。1944年(昭和19年)谷津坂駅として開業。当時、駅の周囲に人家はほとんど無く軍需工場の大日本兵器産業富岡工場への物資搬送と工場従業員の利用が主でした。終戦前には利用者が約1万人だったと京急さんのホームページには書かれています。戦後は兵器工場がなくなり利用者は激減。しかし昭和30年代から駅周辺の宅地開発で人口が急増。1969年(昭和44年)現在の橋上駅舎になりました。1982年(昭和57年)能見台駅に改称。駅舎が改築されバスターミナルが設けられました。2010年(平成22年)エアポート急行停車駅になりました。

※2020年6月10日、開業当時の駅名称を修正いたしました。(鉄道チャンネル編集部)

では次回は能見台駅を降りてみます。

【駅ぶら03】京浜急行68 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)