三浦一族の末裔【駅ぶら03】京浜急行92

2020.07.03

県立大学駅の正面、ちょうど駅前は更地にして何か大きな建物を作っている最中でした。神奈川県立保険福祉大学はこの先にあります。さらに真っ直ぐ行けば海です。

駅舎正面。右の崖上に写っている建物は、2012年(平成24年)まで横浜地方検察庁横須賀支部だったと思われます。今は横須賀中央駅から海側に行った横須賀市新港町にあります。

駅前の道を左、京急線に沿って品川方向に行きます。駅の隣にはパン屋さんがあります。なかなか魅力的な品揃えでした・・・。

歯医者さんの前を通って、

とにかくズンズン行きます。右のクリーニング屋さんの建物は些かヤレていますが不思議な色をしています。

左には京急線。何故か灰皿があったので一休みしました。(笑)

右の一方通行出口を下に降りてゆきます。

聖徳寺坂の下をくぐるトンネルを抜けて右側に「永嶋家赤門」が見えました。実は京急さんのホームページに書いてあったので見にきたのです。駅からは徒歩5分ほどです。

「永嶋家赤門」は、瓦葺(かわらぶ)き、寄棟造りです。間口は八間(はっけん=約14.4m)奥行きは二間(にけん=約3.6m)。腰壁はなまこ壁の長屋門。長屋門とは武家などで防衛のために主家の周囲に家来の長屋を巡らした一部に門を造ったものです。この永嶋家は、三浦氏の末裔と伝えられ、戦国時代は小田原北条氏の支配下で浜代官を務め、江戸時代には三浦郡の総名主を務めた家柄なので長屋門が許されたのです。

門扉はケヤキ材で江戸時代のものと思われます。柱や桁などは改築されている様です。朱塗りであることから一般に「赤門」と呼ばれています。

門前に横須賀市の「市制施行七十周年記念 横須賀風物百選」の案内板が立てられていました。

上の説明はこの看板の内容を簡略化したものです。この門前の道は、江戸から浦賀に通じた主要道(浦賀道)で、明治末年までは白砂青松(はくしゃせいしょう 文字通り白い砂と青々とした松の並ぶ 日本の美しい海岸のたとえ)の海に面し、猿島や房総半島の山々が見える景勝の街道でした。波の強い日など、旅人は永嶋家の敷地を通らせてもらったと伝えられています。

赤門の右手前に道標が立てられています。三浦半島に道標は少ないそうです。特にこの円柱状のものは珍しいのだとか。

浦賀道を示す文久二年(1862年)の道標。こちら面には「右 大津 浦賀」と刻まれています。

正面には「公郷村之内大田津」とありました。残念ながら「左」は見ることができませんでした。

永嶋家の横を進んだ辺りに古い庚申塔なども置かれていた様ですが、帰宅してから気付いたので見ていないのです。写真もありません。コラムを書くために改めて調べていると、この様な「見落とし」に気付くのです。場合によっては「再撮」に行きますが、この庚申塔は諦めました。

【駅ぶら03】京浜急行93 に続きます。

(写真・記事/住田至朗)


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